乃木坂46『ブランコ』MVと寺田蘭世さん

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 乃木坂46、16枚目のシングルのアンダー曲(シングル表題曲に選抜されなかったメンバーによる曲)である『ブランコ』のMVが期間限定で公開されました。で早速見たのですが、私はそのMVが大好きです。外出中で、ちょうど喫茶店で休んでいるときにMVが公開されたことを知って、イヤフォンで聴きながらiPhoneの小さい画面で視聴したのですが、周りに他のお客さんがいたにもかかわらずちょっと泣きそうになった。寺田蘭世さんありがとうという気持ちになった。良いMV作ってもらえたね。ただ曲のほうはそこまで好きになれず、ゆったりと喋るように歌う感じがラップっぽくもあり、しかしこれはラップとは違うよな、やっぱりフロウか、フロウなのかな、という複雑な気分。


 今回私が盛り上がっているのは、このアンダー曲のセンターが寺田蘭世さんだからです。アンダーにもセンターいるんですよ。乃木坂46は選抜されるされないだけでなく、アンダー内でも序列があるの競争社会の地獄感ありますが…。乃木坂46の中で私が最も好きなメンバーである寺田蘭世さんがアンダーセンターに選ばれたので期待しまくっていたのですが、ラジオで聴いた曲はどうにも微妙で、これでMVまで微妙だったらどうしようかと心配しながら見たわけですが、良かった…。良かったよ…。少なくとも私は『ブランコ』のMVが大好きです。


 旅の途中なのか、がむしゃらに皆顔を汚しながら歩いています。そして見つけるのは竜か何かの空を飛ぶ生き物。全員がその生き物を飛び掴もうとしますがあと一歩。その最中で寺田蘭世さんが覚醒します。他の人にも見えているのか、寺田蘭世さんの背中から羽根が生えてきます。謎の生き物に手が届いたような描写もある。最後の寺田蘭世さんは別の世界に行くことを予期しているのか。


 とまあ5分ほどの映像にたくさんの意味が詰め込まれています。なんとなくスマホゲームのティザームービーにも見えます。しかもこのMVがすごいのは最終的にすべてが寺田蘭世さんに集約されていることです。センターということは理解していましたが、ここまで寺田蘭世さんが主人公だということに驚きました。他のメンバーに申し訳ないぐらい。来年のことを言うと鬼が笑うといいますが、内容に関しても寺田蘭世さんの未来を予感させるものとなっています。つまり寺田蘭世さんの選抜入りです。こんなにあからさまに表現してしまっていいのかと不安になるぐらいです。ちょっと怖いよ。


 寺田蘭世さんもMVがどのように見られるかわかっているはず。しかしその重圧に負けない強さをMVの寺田蘭世さんは見せています。16枚目選抜発表後のブログで寺田蘭世さんははっきりと悔しいと書いていて、その悔しさがMVの寺田蘭世さんからも強く伝わってきます。まっすぐに射抜くような視線の強さ、私は寺田蘭世さんの瞳が大好きです。人を信じさせる覚悟がその瞳にはある。こういう強さというか気高さに私は惹かれます。よく泣くし、自己嫌悪しがちだけど、自分を奮い立たせるように前に進む強さがあって、可愛いだけじゃない強さがある。寺田蘭世さん、可愛いのだけど甘くないのが良いですよね。甘くないのを隠さないのが良い。好きです。

だからはっきり言います
悔しい。

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 寺田蘭世さんらしいというと寺田蘭世さんはらしさとか人を縛るものだと怒りそうですが、私が寺田蘭世さんの良さだと思っている部分、私の好きな寺田蘭世さんがまっすぐに出ているMVを作ってもらえたのは素晴らしいことではないかと私は素直に喜んでいます。スタッフには感謝しかない。あとはもう、MVのように選抜を掴みとるしかないですよ。いけるよ。




追記
 これを書いている間のBGMとして『ブランコ』を繰り返し再生していますが、完全にこの曲が好きになってきた…。しかし、何に対しても意味意味意味と、意味を求めてしまう態度と、それに応えるかのようにわかりやすく意味を与えてくるのには、想像の可能性が狭まってちょっと窮屈だなとも思うのです。

乃木坂46『墓場、女子高生』が終わって

「いつでも思い出し笑いできるような出来事が、
確かにいくつもあったんだけど…、」

 
学校の裏山にある墓場で、
合唱部の少女達は今日も授業をサボって遊んでいる。

墓場にはいろんな人間が現れる。
 
オカルト部の部員達、ヒステリックな教師、疲れたサラリーマン、妖怪、幽霊…。

墓場には似合わないバカ騒ぎをしながらも、 
少女達は胸にある思いを抱えていた。
 
死んでしまった友達、日野陽子のこと。

その思いが押さえきれなくなった時、少女達は「陽子のために…」、
「いや、自分達のために」とある行動を起こす。

「墓場、女子高生」


 最高の8人です。素晴らしかったよー。お疲れ様でした。公演が始まる前はすごい辛そうだなという空気をブログなどから漏れ聞いていたので、最後まで公演を完走出来たこと、おめでとうございます。全公演が終わってしまって、あの12人に会えなくなるのが寂しい。しかし日野ちゃんはもうこれ以上死ななくてもいいんです。日野ちゃんが最後に皆に託した言葉が繰り返しこだまします。乃木坂46の8人がこうやって最高な舞台を作り上げられたことはすごいこと。観られてよかった。この舞台は乃木坂46の8人だからこそ出来た良さがありました。


 乃木坂46で共に活動しているので、元からよく知っている8人です。そのわかりあえてる仲の良さが作品上の関係にも出ていたように思います。日野ちゃんと西川の関係など、現実の伊藤万理華さんと井上小百合さんが投影されているかのよう。作品の中にまで現実を引きずって観劇してしまうのはどうかなと思いますが、そういう見方をすることでより思い入れがある舞台になりました。乃木坂の8人だからこそ作ることの出来た空気感があった。それは去年の再演とも異なる新しさがあって、新鮮な視点を与えてくれました。伊藤万理華さんを中心として乃木坂8人でもって、青春の危うさと生と死の繰り返し、笑いと涙が表裏一体となった空気を表現し、観る度に感情の揺れ動き方も変わってくる作品でした。同じ場面でもある人は笑い、ある人は泣いて、大爆笑でも大号泣でもないけれど、泣き笑いのどうしようもなく胸が抉られるような切なさが通奏低音として流れていました。


 以下ネタばれしています。演劇批評とは違ってアイドルオタク的な感想です。私が観たのは初日千秋楽含めて計6回。回数を重ねる度に観終わった後の疲労が増していったけれど、彼女達のことをいろいろ考えながら夜の静かな道を散歩するのが心地良かった。久しぶりに缶コーラを買って飲んだよ。


 初日2日目を観た感想はこちら。
yuribossa.hatenablog.com


 『墓場、女子高生』の大まかなストーリーは、誰にも何も告げずに自死した女子高生日野陽子と、その死を乗り越えられない周りの者達が彼女を生き返らせ、どうにか心の整理をつけようとして繰り広げる馬鹿馬鹿しさと紙一重の青春といったお話。私は大人へと成長していくときに捨てていかなければならないものとの別れの物語と捉えました。クライマックスは、生き返った日野ちゃんに対してそれぞれが日野ちゃんの死んだ理由を美しく再定義していく場面とその後の日野ちゃんの2度目の自死です。ここで日野ちゃんは皆と一対一で向き合う。開演から2時間近く舞台を観てきて(公演時間は2時間ちょっと)、この最後の場面までくると、もう日野ちゃんは日野ちゃんであるようで日野ちゃんでないんですよね。伊藤万理華さんが、乃木坂46の人達が、役の内側から滲み出ている。それは私が乃木坂を知っているからですが、物語の中なのに、伊藤万理華さんが他のメンバーと対峙し闘っているシーンにすら見えてきます(こういう観劇はダメだとわかってはいるのだけど)。皆それぞれ役を超えたところで伊藤万理華さんとぶつかっている。観る側の視線が虚構と現実の狭間を揺らめきながらも、彼女達がバシッと突きつけてくる言葉が切なく美しいです。ただ、日野ちゃんは生き返って生きているわけです。一度死んだという事実はあれど、今は生きているわけで、死んだということをなしにしてもいいじゃないですか。さすがに無理か。無理ですね。ともかく、今生きているのに、日野ちゃんの死んだ理由を美しく再定義しあっている風景は異様に見えた。まるでこれから死ぬからその理由を付けているような雰囲気があった(これは2度目の死があることを以前の観劇で知っていたからというのもあるけど)。皆にとってわからずじまいだった1度目の死を再定義したはずなのに、実は2度目の死の理由を定義していたようなズレを私は感じました。あそこで形容詞色鬼をしなければ、まだ日野ちゃんが生きる道もあったのではないか、そんな気さえします(そういえば合唱部で形容詞色鬼をやったときのお題が「生まれ変わったら何になりたいか」でしたね)。皆が美しく理由を付けてくれたから日野ちゃんも死の覚悟が出来たのではなかろうか。どうなんだろう。あとこの場面、ナカジの言葉に対して日野ちゃんは「美談だねぇ」と言うのだけど、この台詞に清水葉月さんを思い出して泣いた。それ以外ずっと日野ちゃんは伊藤万理華さんの日野ちゃんだったのに、この台詞だけは清水葉月さんを思い出してしまったよ。


 乃木坂のメンバーに焦点を当てると、とにかく鈴木絢音さんがすごかった。演技が大爆発していて、常に前のめり気味で躍動感あるジモを鈴木絢音さんが全身で演じきっていた。私はビンゼを合唱部の仲間にするときのちょっとイッちゃってるジモが大好きです。普段の鈴木絢音さんは静かな佇まいで、ジモは正反対といっていい役なんですが、まるでジモは鈴木絢音さんをあて書きしたような一心同体さがありました。あとジモはいつも西川のことを気に掛けているのが優しいところあって好きです。私が『墓場、女子高生』でいちばん好きなシーンは最後のジモがコーラを飲むシーンなんですが、そのときのジモの思いつめたような刹那な表情、青春であるようで大人になりかけているかのようでもあり、この一瞬は繰り返すことの出来ないただ一瞬なんだなと断言されているような鋭い輝きを放っていました。千秋楽では涙を堪えながらの演技だったけど、ここに話が終息するために乃木坂の8人はずっと頑張ってきたんだなと思えるぐらいの美しさがあの瞬間の鈴木絢音さんにはあった。そしていつも楽しそうに演技しているのが最高だった。この舞台を通してこれまで以上に鈴木絢音さんのことが好きになりましたよ。千秋楽の挨拶でも涙目ながら満足気ですごい楽しそうな鈴木絢音さんを見れたことがとても幸せです。


 観れば観るほど好きになっていった人にチョロがいました。純情なチョロ大好き。比喩が通じないチョロ大好き。最初の場面において彼氏のことでナカジと喧嘩するチョロ。「頑張って付き合ってきたのにさ」と言うチョロだけど、告白された当初は「頑張るって諦めるまでの時間稼ぎ」と言い放って、日野ちゃんに向かって馬鹿と言いながら靴を投げていたじゃない。どう心の変化があったのか。日野ちゃんが生き返った後に、私があのとき馬鹿と言ったから日野ちゃんが死んでしまったと謝罪するチョロのあのときとはまさに靴を投げたあのときのはずで、もしかしたら日野ちゃんの死が頑張るということに強い意味を与えてしまったのではないかと想像してしまいます。そう思うとチョロの健気さに泣きたくなってくる。あと、西川と喧嘩した後、暗転せずに季節が変わって夏の恋愛相談に移り変わるシーン、状況が変わるのでチョロは涙を拭わないといけないんだけど、私はその時間の逆行にどうしても泣いてしまうんだ。チョロの声音が変化していくのが本当に切ない。あとあと、聴き違えていたらごめんなさいだけど、合唱でチョロはソプラノパートですよね?? 合唱はどれも歌が綺麗だったのだけど、ソプラノが特に綺麗な歌声で、おそらくたぶんチョロだと思っていて、何回聴いてもハッとする美しさがありました。チョロが好きだから樋口日奈さんを好きになるのも当然の流れというもの。


 日野ちゃんの側にいて、その死でいちばん変わってしまった西川。オカルト部での西川が本当に不憫で不憫で…泣。西川の変貌を知っているから、2回目以降の観劇では最初のオカルト部での登場シーンからしてもう泣きそうになるんですよね。合唱部相手に何度も言葉を飲み込むオカルト部の西川は、覚悟を決めて日野ちゃんに将来の不安を話したときと何が変わってしまったのか。西川が日野ちゃんに言った言葉「聞く話によると、どうやら世の中は腐っているらしいじゃないのさ」、西川というか井上小百合さんめっちゃ言いそう…。言わないか…。実際はわからないけど、この台詞は井上小百合さんらしさあった。これを言わせるために西川役にしたと思えるくらい。パンフでも自分と西川が似ていることに自ら言及していましたしね。


 ナカジ、可愛いなら胸張っていこうぜ。でもわかるよ、自信があるものほど不安になる気持ち。四面楚歌だるまさんがころんだで体張りまくってた斉藤優里さんすごかったよ。結構酷いこと言われてましたよね…。しかも無茶振りまであるし。アドリブいっぱい頑張ってたなと思います。ちなみに四面楚歌だるまさんを始めたとき、初日は泣きそうになったよ。あぁ、去年もこの馬鹿騒ぎ観たなって。ここはみんな素になってるのがリアルさ出てて良かったです。ブスバカ言われて凹みまくってた斉藤優里さんや能條愛未さんに優しい言葉をいっぱい言いたい(しかし握手券は無い!!)。


 影の主役といっていいメンコ(生きてるのに!?)。能條愛未さんもすごかった。殻を突き破ったと千秋楽挨拶でも言っていましたがマジすごかった。能條愛未さんは喋ってないときの語りっぷりがとても印象的でした。何も言葉を発さなくても伝わってくるものがあった。日野ちゃんが生き返ってからはメンコは日野ちゃんと向き合うことが出来ずに背中で語っていて、だからこそのやっと言葉を発してのうんこの話。メンコが日野ちゃんにうんこの話を迫る声が泣けるんだ。あんなに泣けるうんこないよ。前半でメンコは日野ちゃんの死を整理したというけれど、やはり心の中ではどうやっても整理できないものがあって、その苦しみを能條愛未さんが丁寧に表現していたなと感じました。というかさ、◯ックスセッ◯ス連呼してさ、鈴木絢音さんを前にしてこういう話大丈夫なの!? 私は心配よ!!


 武田様は観る前から予想していたことだけど、卒塔婆を光背のように背負う姿のインパクト強すぎ。大爆笑でしょ。真面目だから余計笑える。伊藤純奈さんが武田様をやることに対して、現役女子高生なのに武田様役はもったいないなと最初思っていたけれど、こう終わってみると伊藤純奈さん適役だったなと褒めざるをえない。シリアスな場面で笑いを起こす異質な存在を伊藤純奈さんが自然に演じていました。そのまま感動的な空気になってもいい場面でも、武田様はそんなに簡単に涙は許さないとでもいうように絶妙のタイミングで笑いを突っ込んできて、一歩間違えればスベるところを伊藤純奈さんの天性としか思えないタイミングでこその笑いを生み出していたので最高だった。21日ソワレでは直前で台詞をとちったビンゼにダメ出ししていてアドリブも出来る機転があって、伊藤純奈さんは初舞台とは思えない肝の据わりっぷりがありましたね。


 ビンゼは合唱部との出会いから季節が移り変わるシーンが大好き。いちばん青春のノスタルジックを感じさせてくれた。また、日野ちゃんを生き返らせようとするときにビンゼが言った「日野ちゃんのためじゃなく、自分がすっきりしたいからでしょ」、自分も身に覚えがありすぎて辛い…。最後のジモとのシーンで、以前日野ちゃんと初めて出会ったときに日野ちゃんがやったポーズと同じポーズをビンゼがするのだけど、思い出せる青春があったというよりも、日野ちゃんが憑いたように見えてしまいました。本人も自分の行動に驚いていましたしね。あとアドリブ場面で本音がこぼれる新内眞衣さん可愛かった。


 大人達に目を移すと、山彦さんは最後の別れのシーンで結構エモってたのがこちらまでもらい泣きしそうだった。あと、山彦さんの閉店ガラガラが私は地味に好きです。日野ちゃんの「死ねばいいのに」からの真壁さんの「死んでるんだよ、80年前に!!」の流れは、それまでなんとなくわかっていたけれどここでしっかり3人が幽霊妖怪の類だと説明する流れが上手いなーと。死ぬと人間の嫌な部分がすべて無くなるのかというぐらい、山彦さんも真壁さんも人の良さばかり伝わってきて、日野ちゃんとの3人の仲の良さがすごく好きです。「悲しんでばかりじゃ疲れるじゃない」や「あなたに誰かを憐れむ資格なんてありません!! 世の中知らないガキじゃない!!」などなど、先生が生徒達に言う言葉はどれももっともなことなんですよ。わかる。わかるから、自分は大人になってしまったことに悲しみを感じる。走りまくった先生お疲れ様でした。大人陣は乃木坂の皆からパパママと慕われている感じが良いですね。


 最後、この舞台の主役はなんといっても伊藤万理華さんです。伊藤万理華さんが演じるのは、誰にも何も告げずに自ら死を選んだ日野ちゃん。何度観ても本心がわからない。結局、日野ちゃんの自死の理由はわからないし、わからないままでいいような気がします。作品全体を通して、無理に答えを導き出そうとしていない良さがある。ただひとつの正解を求めることがすべてじゃないよと象徴するように、日野ちゃんも皆からそれぞれいろんなあだ名で呼ばれていて、それぞれの日野ちゃんがいる。その自由な中を伊藤万理華さんが奔放に動き回っていました。どんな瞬間も伊藤万理華さんの表情はいきいきとしていて(死んでいるのに!!)、目を離させない魅力に満ちていました。乃木坂のライブを見ているときも伊藤万理華さんは美しいパフォーマンスをしているなあと感嘆しまくりだったんですが、舞台上でも本当に観ていてググッと引き込まれる存在として輝いていました。とっても不思議なんだけど、何故だか親しみのある日野ちゃんがいて、その親しみやすさは伊藤万理華さんだからであり、そして周りに乃木坂のメンバーがいたから出ていたように思います。話の流れで皆が方言で喋り始めるときのグッと親近感が湧く感じがとても好きです。カーテンコールでは毎回、まだ日野ちゃんが抜けきらない状態の夢うつつのような伊藤万理華さんがいて、私達が見ている世界と異なる世界を見ているような幻惑的な瞳でもって挨拶するのがなんともゾクゾクさせてくれて最高でしたよ。


 2度目の自死の後、日野ちゃんはどこに行ったのか。墓場に来なくなった合唱部の面々、それぞれ大人になっていく。皆が日野ちゃんのことを想っていたから存在していた幽霊としての日野ちゃん。ということは…。忘れてしまったら死んだも一緒とジモは言います。でも忘れてない、と私は思う。忘れてないけど前に進むことを選んだ彼女達には日野ちゃんは幽霊である必要はなくなったのかもしれません。そして最後に残ったジモとビンゼがあだ名でなく本名で呼び合うようになり、青春がいつでも思い出し笑いできるように変わっていって、世界は美しく記憶されていく。そうして少女は、青春は、走り去るのであった。


 千秋楽のカーテンコールでは出演者ひとりずつ挨拶がありました。樋口日奈さんがこれまではチョロになりきるために普段もがに股で歩いていたが、これからはいつも通りの樋口日奈に戻ると言って笑いと取っていたり、演技の幅が広がったと自信を感じさせるコメントをした能條愛未さんも素晴らしかったですが、やはり最後に挨拶した伊藤万理華さんの言葉がすべてを物語っていたように思います。伊藤万理華さんが演じるのは何を考えているかわからない不思議な存在である主人公の日野陽子、捉えどころのない日野ちゃんに伊藤万理華さんは苦心していたようです。しかし周りにはこれまでずっと一緒に活動してきた乃木坂のメンバーがいたから、その助けを借りて私は日野陽子を生きることが出来たと、乃木坂の皆で作品を作り上げられたことに感謝しているようなコメントをしてくれました(うろ覚えの意訳)。その言葉を聞きながら私は涙ぐんでしまいました。何故ならそれは私がこの舞台に対して感じた印象を大きく裏付けてくれたからです。舞台を所狭しと走り回る8人は女子高生であると同時に乃木坂の8人です。観劇しながらも、どうしても乃木坂の8人ということが意識の底にあって、それが物語の関係性以上に彼女達の絆を強めているように感じました。前回の更新でも書いたのですが、日野ちゃんは伊藤万理華さんなのに、他の乃木坂7人もその後ろに存在が重なる瞬間があって、全員で日野ちゃんを作り上げている感動がありました。その感動に共感してくれたような伊藤万理華さんの言葉を聞いて、ちょっとうれしくなったと同時に、やっぱりこの8人で出来たことが本当に素晴らしいなと涙が込み上げてきました。ありがとう。


 本当に観られてよかったなと思います。乃木坂46にめっちゃハマっている今のタイミングで、自分の好きな戯曲を乃木坂46が演じてくれて、しかも最高の作品に出来上がっていること、これ以上幸せなことはありません。素晴らしい舞台をありがとうございました。最高の8人(12人)でしたよ。




 よし、次は欅坂46cocoonやりましょう!!




追記
 日野ちゃんの西川に向けての「ありがとう」、西川の「だよね」での悲鳴の意味が何回観てもわからなかった…。あの場面での日野ちゃんと西川の間のちょっと不穏な空気がずっと気になってたけどわからずじまいだった。

乃木坂46『墓場、女子高生』初日2日目雑感

 乃木坂46が本格演劇に挑戦する第二弾、『墓場、女子高生』を観てきました。現状、私が観たのは初日と2日目ソワレ。

「いつでも思い出し笑いできるような出来事が、
確かにいくつもあったんだけど…、」

 
学校の裏山にある墓場で、
合唱部の少女達は今日も授業をサボって遊んでいる。

墓場にはいろんな人間が現れる。
 
オカルト部の部員達、ヒステリックな教師、疲れたサラリーマン、妖怪、幽霊…。

墓場には似合わないバカ騒ぎをしながらも、 
少女達は胸にある思いを抱えていた。
 
死んでしまった友達、日野陽子のこと。

その思いが押さえきれなくなった時、少女達は「陽子のために…」、
「いや、自分達のために」とある行動を起こす。

「墓場、女子高生」


natalie.mu




 笑った。超笑った。そして泣いた。どこにでもありそうですぐに忘れてしまいそうな瞬間の連続が積み重なり、いつかは漠然と青春と呼ばれるようになる時間。忘れてしまう時間と忘れられない人。これが青春なのだろうか。青春らしい青春を過ごしてこなかった自分には、昔を思い出すということもなかったけれど、そこには狂おしいまでの青さが生と死のすぐ隣にあって、それがさらに青春を際立たせていた。


 私は去年、ベッド&メイキングスによる再演『墓場、女子高生』を観ました。それが本当に最高だった。死んでしまった者を常に想いながら、しかし繰り広げるはどうでもいい時間。主演の清水葉月さんが素晴らしくて、ただ墓場を歩いているだけでも幽霊としての存在感があった。雰囲気を作れる女優さんだった。あのときも笑って泣いて、観終わって外に出ると夏で、どうしようもなく切なくなったのを覚えています。


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 そして今回、乃木坂46のメンバー8人を迎えての『墓場、女子高生』です。去年が最高だったので、もしかしたら乃木坂が演じることによって面白さが減ってしまうのではないか、そんな不安がありました。女優することに熱心な乃木坂であっても、本業はアイドルですからね。アイドルが出る舞台は面白いか基本的に不安なんですよ。しかし(ここフォント大きく)、そんなことは杞憂でした。乃木坂46の『墓場、女子高生』、素晴らしかったです。笑いと涙の狭間を揺らいで、青春の不安定さを見事に描かれていた。あと去年は下ネタ多かったなーと思い出したけど今回も下ネタ突っ込みまくってました。


 どうしても去年の再演と比較してしまうのは申し訳ない。しかし比べることで新しさも見えてきて、自分の中に出来上がっていた『墓場、女子高生』のイメージを壊してくれました。特に主演の伊藤万理華さん。去年の『墓場、女子高生』を観た後、私には清水葉月さんが演じる日野ちゃんがいるからこそ『墓場、女子高生』が成り立っているとしか思えず、清水葉月さんしかありえないと思っていました。今回日野ちゃん役(皆いろいろな愛称で日野のことを呼んでいますが私は「日野ちゃん」です)が伊藤万理華さんだと知ったとき、清水葉月さんで作られた私の中の『墓場、女子高生』のイメージをどう崩してくれるのだろうと楽しみであり不安でもありました。


 そんな複雑な気持ちで迎えた初日。伊藤万理華さん演じる日野ちゃんは孤高でありながらも親しみのある女子高生となって舞台の上に立っていました。それは伊藤万理華さんだからこそ、乃木坂46の8人が演じているからこそ成り立つ日野ちゃんでした。日野ちゃんは伊藤万理華さんなのに、他の7人もその背後に感じられて、全員で舞台を作り上げているんだなという感動がありました。やっぱりこの8人なんですよ。


 以下それぞれについて。ネタばれしています。

合唱部の面々に何も告げずに自殺してしまう日野ちゃん。日野ちゃんはどんなに仲の良い友達にも見せない秘めた部分を持っていて、それが日野ちゃんの神秘性を高めています。去年観たときは日野ちゃんの不可侵で神秘的なわからなさが自殺してしまったことに対する言い訳にもなっていたように感じました。他の7人から見てやっぱりあの子は不思議だったねみたいに去年は思えたのだけど、今回は伊藤万理華さんなわけです。普段は他の乃木坂7人と一緒に仕事をしているわけです。現実とは違う舞台を観ているはずなのに、その後ろに乃木坂が透けて見えざるをえない。乃木坂の8人が演じているということがどうしても意識の底にあって、それがお話自体が生み出す関係性以上の絆を私に感じさせて、演劇としてそういう見方はどうなのかなと思いつつも、それこそが乃木坂46が『墓場、女子高生』を演じる意味のような気もして、複雑ながらも日野ちゃんとそれぞれの関係にのめり込んでしまいました。で日野ちゃんは、伊藤万理華さんであり8人でもあるのです。だから死別がより悲しく、残された者のやりきれなさが墓場に充満していてあの馬鹿騒ぎなのだと思います。

ビール飲んだりして大人ぶっているのに純情なの可愛すぎでしょ。日野ちゃんは死んでしまった存在でいないも同然なので、必然的にメンコが主役のような雰囲気がありました。陽であるメンコと陰の日野ちゃん。生き返った日野ちゃんに対して言葉が少なくなるメンコの佇まいが物語を強くさせていました。メンコがうんこの話を日野ちゃんに迫るところ、うんこの話なのにめっちゃ泣けるんだ。

ビンゼは途中から合唱部に入るという設定なのだけど、そもそも新内眞衣さんは乃木坂のメンバーだという認識があるので、なんというか新入部員感が薄いんですよね。あと、一気に時間が戻って合唱部に加入するときの場面に転換する流れは気持ち良い。あの出会いから回想に変わるところも切なくて好きです。時間は流れているのに過去に戻って再び今に跳ぶ。この舞台は最初夏の話かなと思っていたのに、実際は四季を巡っていて、それが彼女達の制服の着こなしにも表れていて、だからこその最期のシーンが印象的になっていました。

斉藤優里さんっぽい。自分のことをブスブス自虐するのですが、全然ブスじゃなく可愛いのが辛い。ブスブス自分では言ってても本当は可愛いと言ってもらいたいのに、ジモにはそこそこ可愛いと絶妙にけなされてるの可愛い。悪口さえも愛おしくなるこの距離感がいかにも青春ですね。ただまあ乃木坂の人がブスブス言ってても全然説得力ないの悲しい。ブリっ子してるナカジ可愛いよ。

誰も彼も純情なんですよ。おっさんが書く女子高生だから純情なんですよ。荒い言葉遣いであっても乙女心はあって健気なチョロ可愛いし、チョロの足開き気味な感じ、嫌いになれないよ。

すごかったよ!! 私の知ってた鈴木絢音さんではなく、女優の鈴木絢音さんでした。明るいんだけど捻くれていて、何事にも突進していくようで一歩退く雰囲気も持っていて、本当にジモだった。踊っているときに腰が低くなる感じ、ジモっぽくていいなと思いながら観ていました。最後のコーラを飲むシーンに青春の刹那が詰まりまくっていて、その瞬間、それまでの2時間はこのジモのシーンのためにあるんだなって思えるくらい素晴らしくて泣いた。

舞台が始まる前、オカルト部を誰がやるだろうか楽しみだったのです。誰がやっても面白いことに間違いないことは確信していましたが、伊藤純奈さんがオカルト部を演じることを知ってかなりびっくりしました。なにせ今回の演者の中で数少ない現役高校生なわけです。それがこんな色物な役を演じるなんて。しかし、武田様最高でしたね。どんなに奇抜でも本人が笑わせようとしていない本気だから生み出せる笑いが最高だった。

こちらも難しそうな役だった。最初オカルト部で登場して、後から元は合唱部だったことがわかる西川。いちばん日野ちゃんの心の核心に迫っただけにいちばん突き飛ばされてしまった西川。なんとも悲しい。日野ちゃんと西川の会話が、いつも伊藤万理華さんと井上小百合さんで話しているのと同じような雰囲気があった(プライベート知らないけど)。いいことなのかどうなのか、歩き方とか仕草に時折井上小百合さんが感じられるんですよ。だから日野ちゃんこと伊藤万理華さんと死に別れたことが本当に辛くて、2回目に観たときはオカルト部の格好で出てきたときから辛かった。

  • 大人4人

大人陣は絶対笑いを外さないからずるいですよね。冴えないおっさんサラリーマン高田はずっと冴えないままで自分のことのように身につまされるけど、去年観たときよりも重要度が増していたように感じられて、彼がいたからより青春の青春らしさが際立っていたと思います。狂言回しとしての山彦さんと真壁さんもまるで生きているかのようで、墓場としてのセンチメンタル過剰感はこの2人がいたからでしょう。わざわざ放ったギャグの説明をくどくど言って演劇を壊してくる先生の笑い、そういうの苦手なはずなのに全然笑えて自分でも結構不思議でした。


 乃木坂46らしく合唱のシーンがたくさんあったのが良かったです。去年は歌うシーンがかなり少なかったと記憶していて、去年を思い返してみても序盤の歌が結構クライマックス的だったような気もして、しかし今回は随所に合唱にシーンがあって、それが乃木坂が演じることの良さと繋がっていたように思います。アイドルソングを歌う乃木坂ももちろん好きだけど、合唱のようなよりプリミティブな歌を披露する乃木坂は少女感が増していて、その朴訥さがリアルにその年代でしか出せない空気を作り出していました。やっぱり乃木坂が演じてくれて良かった。


 乃木坂が演じることにも通じますが、やっぱり本物の女子高生が女子高生を演じることに勝てるものはないんですよ。去年観た再演は大人の女優が演じていました。演技もとても上手かった。しかし舞台や映画において、演技の上手い大人の女優さんが女子高生を演じるよりも演技力云々以前に実際の女子高生が女子高生を演じるほうが圧倒的に強さがあると、私はいろんな作品を観て確信に至りました。やっぱりその年齢でしか出せないものがあるのだと私は信じています。今回の『墓場、女子高生』では乃木坂46の8人の内、2人が現役女子高生でした。全員ではないけれどリアルさが十二分にあった。本物の女子高生がいるからこその舞台の空気感があって、そこから醸し出されるどうでもいいくだらなさが愛おしかった。もしかしたら、アイドルというのは例え20歳を過ぎていたとしても同じ20代よりもより若く青春に近い場所にいるのかもしれません。


 最後、皆が自分の責任だと背負いこんでいた日野ちゃんの死んでしまった理由を改めてひとりずつ美化して発表する場面があって、私にはそこがクライマックスで、日野ちゃんが泣きながらひとりずつ声をかけていく姿が悲しいようで美しく、息を呑む真摯さがあった。腐った世界は美しく再定義されなければならない。過去は美化されるように青春も美化され、友人が死んだことも美化されます。時が経てば自然に美化されるものをここでは無理矢理に美化していく。普通は時間の積み重ねで少しずつ変化していくものを一気に凝縮した瞬間に生まれる美しさがあった。そして再び死ぬことを覚悟した日野ちゃんの一言一言が本当に胸にくる。


 全編を通して笑いと涙の狭間を揺らめいでいました。ときに笑っていいのか泣いていいのかわからないぎりぎりの空気感、ギャグと不謹慎が紙一重なところが最高だった。誰かは笑って誰かは泣いて、その揺らぎが世界を不安定に浄化させていって、いつかは忘れてしまうけれど何かは残ってほしいという願いがある。ジモは忘れられたら死んだも同然と言うけれど、だとしたら忘れさえしなければ誰もが生きているんです。


 本当に、この8人で舞台を作れたことが素晴らしいなと思える作品でした。パンフの座談会でメンバーが口々に言っていたように、この8人でやれたことを喜んでいて、この8人でこその『墓場、女子高生』が私を感動させました。にしてもパンフの座談会はいちばんしんどさ極まっていたときに開かれたらしく、喋りながら全員泣きまくっているのメンタルやばいでしょうとは思いましたが…。乃木坂46が演じていることを意識しながら観るのは申し訳ないなと思いつつも、だからこその美しさがありました。乃木坂46であるけれど乃木坂46でない8人のくだらなくも真摯な墓場での時間、とても素晴らしかった。ありがとう。無事に千秋楽を迎えられることを祈ってます。


 あと、本当に本当にどうでもいいことだけど、日野ちゃんがやる奇抜なポーズが『わたしの星』を思い出させて胸がいっぱいになったよ。