乃木坂46『墓場、女子高生』が終わって

「いつでも思い出し笑いできるような出来事が、
確かにいくつもあったんだけど…、」

 
学校の裏山にある墓場で、
合唱部の少女達は今日も授業をサボって遊んでいる。

墓場にはいろんな人間が現れる。
 
オカルト部の部員達、ヒステリックな教師、疲れたサラリーマン、妖怪、幽霊…。

墓場には似合わないバカ騒ぎをしながらも、 
少女達は胸にある思いを抱えていた。
 
死んでしまった友達、日野陽子のこと。

その思いが押さえきれなくなった時、少女達は「陽子のために…」、
「いや、自分達のために」とある行動を起こす。

「墓場、女子高生」


 最高の8人です。素晴らしかったよー。お疲れ様でした。公演が始まる前はすごい辛そうだなという空気をブログなどから漏れ聞いていたので、最後まで公演を完走出来たこと、おめでとうございます。全公演が終わってしまって、あの12人に会えなくなるのが寂しい。しかし日野ちゃんはもうこれ以上死ななくてもいいんです。日野ちゃんが最後に皆に託した言葉が繰り返しこだまします。乃木坂46の8人がこうやって最高な舞台を作り上げられたことはすごいこと。観られてよかった。この舞台は乃木坂46の8人だからこそ出来た良さがありました。


 乃木坂46で共に活動しているので、元からよく知っている8人です。そのわかりあえてる仲の良さが作品上の関係にも出ていたように思います。日野ちゃんと西川の関係など、現実の伊藤万理華さんと井上小百合さんが投影されているかのよう。作品の中にまで現実を引きずって観劇してしまうのはどうかなと思いますが、そういう見方をすることでより思い入れがある舞台になりました。乃木坂の8人だからこそ作ることの出来た空気感があった。それは去年の再演とも異なる新しさがあって、新鮮な視点を与えてくれました。伊藤万理華さんを中心として乃木坂8人でもって、青春の危うさと生と死の繰り返し、笑いと涙が表裏一体となった空気を表現し、観る度に感情の揺れ動き方も変わってくる作品でした。同じ場面でもある人は笑い、ある人は泣いて、大爆笑でも大号泣でもないけれど、泣き笑いのどうしようもなく胸が抉られるような切なさが通奏低音として流れていました。


 以下ネタばれしています。演劇批評とは違ってアイドルオタク的な感想です。私が観たのは初日千秋楽含めて計6回。回数を重ねる度に観終わった後の疲労が増していったけれど、彼女達のことをいろいろ考えながら夜の静かな道を散歩するのが心地良かった。久しぶりに缶コーラを買って飲んだよ。


 初日2日目を観た感想はこちら。
yuribossa.hatenablog.com


 『墓場、女子高生』の大まかなストーリーは、誰にも何も告げずに自死した女子高生日野陽子と、その死を乗り越えられない周りの者達が彼女を生き返らせ、どうにか心の整理をつけようとして繰り広げる馬鹿馬鹿しさと紙一重の青春といったお話。私は大人へと成長していくときに捨てていかなければならないものとの別れの物語と捉えました。クライマックスは、生き返った日野ちゃんに対してそれぞれが日野ちゃんの死んだ理由を美しく再定義していく場面とその後の日野ちゃんの2度目の自死です。ここで日野ちゃんは皆と一対一で向き合う。開演から2時間近く舞台を観てきて(公演時間は2時間ちょっと)、この最後の場面までくると、もう日野ちゃんは日野ちゃんであるようで日野ちゃんでないんですよね。伊藤万理華さんが、乃木坂46の人達が、役の内側から滲み出ている。それは私が乃木坂を知っているからですが、物語の中なのに、伊藤万理華さんが他のメンバーと対峙し闘っているシーンにすら見えてきます(こういう観劇はダメだとわかってはいるのだけど)。皆それぞれ役を超えたところで伊藤万理華さんとぶつかっている。観る側の視線が虚構と現実の狭間を揺らめきながらも、彼女達がバシッと突きつけてくる言葉が切なく美しいです。ただ、日野ちゃんは生き返って生きているわけです。一度死んだという事実はあれど、今は生きているわけで、死んだということをなしにしてもいいじゃないですか。さすがに無理か。無理ですね。ともかく、今生きているのに、日野ちゃんの死んだ理由を美しく再定義しあっている風景は異様に見えた。まるでこれから死ぬからその理由を付けているような雰囲気があった(これは2度目の死があることを以前の観劇で知っていたからというのもあるけど)。皆にとってわからずじまいだった1度目の死を再定義したはずなのに、実は2度目の死の理由を定義していたようなズレを私は感じました。あそこで形容詞色鬼をしなければ、まだ日野ちゃんが生きる道もあったのではないか、そんな気さえします(そういえば合唱部で形容詞色鬼をやったときのお題が「生まれ変わったら何になりたいか」でしたね)。皆が美しく理由を付けてくれたから日野ちゃんも死の覚悟が出来たのではなかろうか。どうなんだろう。あとこの場面、ナカジの言葉に対して日野ちゃんは「美談だねぇ」と言うのだけど、この台詞に清水葉月さんを思い出して泣いた。それ以外ずっと日野ちゃんは伊藤万理華さんの日野ちゃんだったのに、この台詞だけは清水葉月さんを思い出してしまったよ。


 乃木坂のメンバーに焦点を当てると、とにかく鈴木絢音さんがすごかった。演技が大爆発していて、常に前のめり気味で躍動感あるジモを鈴木絢音さんが全身で演じきっていた。私はビンゼを合唱部の仲間にするときのちょっとイッちゃってるジモが大好きです。普段の鈴木絢音さんは静かな佇まいで、ジモは正反対といっていい役なんですが、まるでジモは鈴木絢音さんをあて書きしたような一心同体さがありました。あとジモはいつも西川のことを気に掛けているのが優しいところあって好きです。私が『墓場、女子高生』でいちばん好きなシーンは最後のジモがコーラを飲むシーンなんですが、そのときのジモの思いつめたような刹那な表情、青春であるようで大人になりかけているかのようでもあり、この一瞬は繰り返すことの出来ないただ一瞬なんだなと断言されているような鋭い輝きを放っていました。千秋楽では涙を堪えながらの演技だったけど、ここに話が終息するために乃木坂の8人はずっと頑張ってきたんだなと思えるぐらいの美しさがあの瞬間の鈴木絢音さんにはあった。そしていつも楽しそうに演技しているのが最高だった。この舞台を通してこれまで以上に鈴木絢音さんのことが好きになりましたよ。千秋楽の挨拶でも涙目ながら満足気ですごい楽しそうな鈴木絢音さんを見れたことがとても幸せです。


 観れば観るほど好きになっていった人にチョロがいました。純情なチョロ大好き。比喩が通じないチョロ大好き。最初の場面において彼氏のことでナカジと喧嘩するチョロ。「頑張って付き合ってきたのにさ」と言うチョロだけど、告白された当初は「頑張るって諦めるまでの時間稼ぎ」と言い放って、日野ちゃんに向かって馬鹿と言いながら靴を投げていたじゃない。どう心の変化があったのか。日野ちゃんが生き返った後に、私があのとき馬鹿と言ったから日野ちゃんが死んでしまったと謝罪するチョロのあのときとはまさに靴を投げたあのときのはずで、もしかしたら日野ちゃんの死が頑張るということに強い意味を与えてしまったのではないかと想像してしまいます。そう思うとチョロの健気さに泣きたくなってくる。あと、西川と喧嘩した後、暗転せずに季節が変わって夏の恋愛相談に移り変わるシーン、状況が変わるのでチョロは涙を拭わないといけないんだけど、私はその時間の逆行にどうしても泣いてしまうんだ。チョロの声音が変化していくのが本当に切ない。あとあと、聴き違えていたらごめんなさいだけど、合唱でチョロはソプラノパートですよね?? 合唱はどれも歌が綺麗だったのだけど、ソプラノが特に綺麗な歌声で、おそらくたぶんチョロだと思っていて、何回聴いてもハッとする美しさがありました。チョロが好きだから樋口日奈さんを好きになるのも当然の流れというもの。


 日野ちゃんの側にいて、その死でいちばん変わってしまった西川。オカルト部での西川が本当に不憫で不憫で…泣。西川の変貌を知っているから、2回目以降の観劇では最初のオカルト部での登場シーンからしてもう泣きそうになるんですよね。合唱部相手に何度も言葉を飲み込むオカルト部の西川は、覚悟を決めて日野ちゃんに将来の不安を話したときと何が変わってしまったのか。西川が日野ちゃんに言った言葉「聞く話によると、どうやら世の中は腐っているらしいじゃないのさ」、西川というか井上小百合さんめっちゃ言いそう…。言わないか…。実際はわからないけど、この台詞は井上小百合さんらしさあった。これを言わせるために西川役にしたと思えるくらい。パンフでも自分と西川が似ていることに自ら言及していましたしね。


 ナカジ、可愛いなら胸張っていこうぜ。でもわかるよ、自信があるものほど不安になる気持ち。四面楚歌だるまさんがころんだで体張りまくってた斉藤優里さんすごかったよ。結構酷いこと言われてましたよね…。しかも無茶振りまであるし。アドリブいっぱい頑張ってたなと思います。ちなみに四面楚歌だるまさんを始めたとき、初日は泣きそうになったよ。あぁ、去年もこの馬鹿騒ぎ観たなって。ここはみんな素になってるのがリアルさ出てて良かったです。ブスバカ言われて凹みまくってた斉藤優里さんや能條愛未さんに優しい言葉をいっぱい言いたい(しかし握手券は無い!!)。


 影の主役といっていいメンコ(生きてるのに!?)。能條愛未さんもすごかった。殻を突き破ったと千秋楽挨拶でも言っていましたがマジすごかった。能條愛未さんは喋ってないときの語りっぷりがとても印象的でした。何も言葉を発さなくても伝わってくるものがあった。日野ちゃんが生き返ってからはメンコは日野ちゃんと向き合うことが出来ずに背中で語っていて、だからこそのやっと言葉を発してのうんこの話。メンコが日野ちゃんにうんこの話を迫る声が泣けるんだ。あんなに泣けるうんこないよ。前半でメンコは日野ちゃんの死を整理したというけれど、やはり心の中ではどうやっても整理できないものがあって、その苦しみを能條愛未さんが丁寧に表現していたなと感じました。というかさ、◯ックスセッ◯ス連呼してさ、鈴木絢音さんを前にしてこういう話大丈夫なの!? 私は心配よ!!


 武田様は観る前から予想していたことだけど、卒塔婆を光背のように背負う姿のインパクト強すぎ。大爆笑でしょ。真面目だから余計笑える。伊藤純奈さんが武田様をやることに対して、現役女子高生なのに武田様役はもったいないなと最初思っていたけれど、こう終わってみると伊藤純奈さん適役だったなと褒めざるをえない。シリアスな場面で笑いを起こす異質な存在を伊藤純奈さんが自然に演じていました。そのまま感動的な空気になってもいい場面でも、武田様はそんなに簡単に涙は許さないとでもいうように絶妙のタイミングで笑いを突っ込んできて、一歩間違えればスベるところを伊藤純奈さんの天性としか思えないタイミングでこその笑いを生み出していたので最高だった。21日ソワレでは直前で台詞をとちったビンゼにダメ出ししていてアドリブも出来る機転があって、伊藤純奈さんは初舞台とは思えない肝の据わりっぷりがありましたね。


 ビンゼは合唱部との出会いから季節が移り変わるシーンが大好き。いちばん青春のノスタルジックを感じさせてくれた。また、日野ちゃんを生き返らせようとするときにビンゼが言った「日野ちゃんのためじゃなく、自分がすっきりしたいからでしょ」、自分も身に覚えがありすぎて辛い…。最後のジモとのシーンで、以前日野ちゃんと初めて出会ったときに日野ちゃんがやったポーズと同じポーズをビンゼがするのだけど、思い出せる青春があったというよりも、日野ちゃんが憑いたように見えてしまいました。本人も自分の行動に驚いていましたしね。あとアドリブ場面で本音がこぼれる新内眞衣さん可愛かった。


 大人達に目を移すと、山彦さんは最後の別れのシーンで結構エモってたのがこちらまでもらい泣きしそうだった。あと、山彦さんの閉店ガラガラが私は地味に好きです。日野ちゃんの「死ねばいいのに」からの真壁さんの「死んでるんだよ、80年前に!!」の流れは、それまでなんとなくわかっていたけれどここでしっかり3人が幽霊妖怪の類だと説明する流れが上手いなーと。死ぬと人間の嫌な部分がすべて無くなるのかというぐらい、山彦さんも真壁さんも人の良さばかり伝わってきて、日野ちゃんとの3人の仲の良さがすごく好きです。「悲しんでばかりじゃ疲れるじゃない」や「あなたに誰かを憐れむ資格なんてありません!! 世の中知らないガキじゃない!!」などなど、先生が生徒達に言う言葉はどれももっともなことなんですよ。わかる。わかるから、自分は大人になってしまったことに悲しみを感じる。走りまくった先生お疲れ様でした。大人陣は乃木坂の皆からパパママと慕われている感じが良いですね。


 最後、この舞台の主役はなんといっても伊藤万理華さんです。伊藤万理華さんが演じるのは、誰にも何も告げずに自ら死を選んだ日野ちゃん。何度観ても本心がわからない。結局、日野ちゃんの自死の理由はわからないし、わからないままでいいような気がします。作品全体を通して、無理に答えを導き出そうとしていない良さがある。ただひとつの正解を求めることがすべてじゃないよと象徴するように、日野ちゃんも皆からそれぞれいろんなあだ名で呼ばれていて、それぞれの日野ちゃんがいる。その自由な中を伊藤万理華さんが奔放に動き回っていました。どんな瞬間も伊藤万理華さんの表情はいきいきとしていて(死んでいるのに!!)、目を離させない魅力に満ちていました。乃木坂のライブを見ているときも伊藤万理華さんは美しいパフォーマンスをしているなあと感嘆しまくりだったんですが、舞台上でも本当に観ていてググッと引き込まれる存在として輝いていました。とっても不思議なんだけど、何故だか親しみのある日野ちゃんがいて、その親しみやすさは伊藤万理華さんだからであり、そして周りに乃木坂のメンバーがいたから出ていたように思います。話の流れで皆が方言で喋り始めるときのグッと親近感が湧く感じがとても好きです。カーテンコールでは毎回、まだ日野ちゃんが抜けきらない状態の夢うつつのような伊藤万理華さんがいて、私達が見ている世界と異なる世界を見ているような幻惑的な瞳でもって挨拶するのがなんともゾクゾクさせてくれて最高でしたよ。


 2度目の自死の後、日野ちゃんはどこに行ったのか。墓場に来なくなった合唱部の面々、それぞれ大人になっていく。皆が日野ちゃんのことを想っていたから存在していた幽霊としての日野ちゃん。ということは…。忘れてしまったら死んだも一緒とジモは言います。でも忘れてない、と私は思う。忘れてないけど前に進むことを選んだ彼女達には日野ちゃんは幽霊である必要はなくなったのかもしれません。そして最後に残ったジモとビンゼがあだ名でなく本名で呼び合うようになり、青春がいつでも思い出し笑いできるように変わっていって、世界は美しく記憶されていく。そうして少女は、青春は、走り去るのであった。


 千秋楽のカーテンコールでは出演者ひとりずつ挨拶がありました。樋口日奈さんがこれまではチョロになりきるために普段もがに股で歩いていたが、これからはいつも通りの樋口日奈に戻ると言って笑いと取っていたり、演技の幅が広がったと自信を感じさせるコメントをした能條愛未さんも素晴らしかったですが、やはり最後に挨拶した伊藤万理華さんの言葉がすべてを物語っていたように思います。伊藤万理華さんが演じるのは何を考えているかわからない不思議な存在である主人公の日野陽子、捉えどころのない日野ちゃんに伊藤万理華さんは苦心していたようです。しかし周りにはこれまでずっと一緒に活動してきた乃木坂のメンバーがいたから、その助けを借りて私は日野陽子を生きることが出来たと、乃木坂の皆で作品を作り上げられたことに感謝しているようなコメントをしてくれました(うろ覚えの意訳)。その言葉を聞きながら私は涙ぐんでしまいました。何故ならそれは私がこの舞台に対して感じた印象を大きく裏付けてくれたからです。舞台を所狭しと走り回る8人は女子高生であると同時に乃木坂の8人です。観劇しながらも、どうしても乃木坂の8人ということが意識の底にあって、それが物語の関係性以上に彼女達の絆を強めているように感じました。前回の更新でも書いたのですが、日野ちゃんは伊藤万理華さんなのに、他の乃木坂7人もその後ろに存在が重なる瞬間があって、全員で日野ちゃんを作り上げている感動がありました。その感動に共感してくれたような伊藤万理華さんの言葉を聞いて、ちょっとうれしくなったと同時に、やっぱりこの8人で出来たことが本当に素晴らしいなと涙が込み上げてきました。ありがとう。


 本当に観られてよかったなと思います。乃木坂46にめっちゃハマっている今のタイミングで、自分の好きな戯曲を乃木坂46が演じてくれて、しかも最高の作品に出来上がっていること、これ以上幸せなことはありません。素晴らしい舞台をありがとうございました。最高の8人(12人)でしたよ。




 よし、次は欅坂46cocoonやりましょう!!




追記
 日野ちゃんの西川に向けての「ありがとう」、西川の「だよね」での悲鳴の意味が何回観てもわからなかった…。あの場面での日野ちゃんと西川の間のちょっと不穏な空気がずっと気になってたけどわからずじまいだった。