闇が眩しい

 門前亜里さんについての話です。読まないほうがいいかもね。




 門前亜里さんは優しいです。それは万人が認めるところ。ハコイリムスメの最年長、といってもまだ17歳で、子供とも大人ともいえない、成長の可能性のみで身体が構成されている不思議な時期の狭間にいます。そういう急変しやすい春の空模様のような、不安定なお年頃なのに、母性が人一倍あります。姉御肌とは違う。包み込むような、という形容詞がぴったりな母性なんですね。それはハコムスのメンバーに対しても、ファンに対しても同様で、そのおかげもあってハコムスの現場の空気はとても暖かいものとなっています。つまりハコムスの良心というわけです(ハコムスは良心とLove Peace Worldでいっぱいなのです)。


 門前亜里さんは、僕が門前さん演ずるアイドルのファンだから優しく接してくれる、というわけでもなく、誰に対しても優しい、らしい。すごいと思います。どこからその優しさが湧いてくるのか。ご両親の教育がしっかりしているのでしょう。と同時に、門前さんにはどうしても翳りを感じとってしまいます。青春の暗い部分といったところでしょうか。うまく発散出来ず、溜め込まれていくものが確かにあるように感じるのです。そして、その透明な澱みが美しいと思える、そんな雰囲気が門前さんにあります。親友のほのかりんさんも門前さんに対して「闇がある所が大スキ」と書いていたように、僕も門前さんの闇を滲ませる佇まいが好きです。


 そんな門前亜里さんの光の当たっていない部分について考えていたとき、誰かがTwitterで、詳細は忘れてしまったけど何かを評してこう書いているのを読みました。「闇が眩しい」、と。読んだ瞬間に、これこそが門前さんだと確信しました。この一見あり得なさそうな表現に出会ったとき、不意に納得したというか、自分が門前さんを好きな気持ちに何かしら形のある言葉が紐付けられた、世界が晴れたような気になったのです。見えないけれど、門前さんには闇があります。童話には教訓があり、可愛いものには毒があるように、門前さんには闇があります。ふと近づいて、心の岸辺に一歩踏み入れようものなら、暗く透きとおった波に足を攫われそうになります。その光をすべて吸い込みそうな闇が、門前さんの輝いている部分であり、眩しいのです。あくまで輝いていると感じているのは僕だけなんですが…。優しさと表裏一体の残酷さ、直接触れることは出来ないけれど、緩んだ水道から垂れる水滴の如く洩れでる陰に、僕は魅入られています。


 多かれ少なかれ、皆暗い部分はあります。だけどほとんどの人はそれを隠す。傷つきやすいから。でも門前さんは、その脆いところを剥き出しにしています。だからこそ眩しい。憧れにも似た眩しさです。大人になったら忘れてしまいそうな、無邪気さ、残酷さ、だからこその優しさ、が門前さんを特別な存在にしています。そう、門前さんは特別なんです。誰しもが自分だけは、という特別なんです。隣のあの子とは違う、そういう美意識が、あります。あってほしい。若い頃は誰だってそう。そんな誰の指図でもなく勝手に果てしない畑に迷い込む時期に、悩んで溜め込んで、屈折した光が閉じ込められた結晶が門前さんです。あり得るべきではない方向に光を反射、拡散する結晶は、異質で、目を逸らせられない魅力があります。稀に見せる門前さんの眩惑的な瞳の光にそれは現れています。そして僕はその儚い揺らめきが大好きなんです。


 好きだけど怖いという、門前亜里さんの底しれなさに対する怖れは常にあります。優しいですし、近寄り難いわけではなく、逆にもっと優しさに触れようと足が一歩また一歩と近づくのですが、そこに慎み深さがとても必要となります。なのに、最近の僕は距離感を間違えているっぽくて、迷惑をかけているような気もします。申し訳ない。


 優しいから、その反動で暗いものが溜まっていくのか、闇があるから優しくなれるのか、そもそもそこに陰陽の関係は無いのか。というか、門前さんの闇なんて僕の妄想では?


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 優しい人は何にも期待していないから優しいんだ、といろいろなところで見かけます。絶望しているのだと。本当にそうなのだろうか。そんなとき、偶然読んだ本に、著者が小さな女の子のバレエダンサーの集団を見て感じた一文にいたく納得しました。以下に引用します。

おそらくは、彼女たちは踊ることで普通の子供にはない何かを与えられているのではないだろうか。
例えばそれは夢の具体性、と同時に、夢をもつことによって生じる筈の孤独や絶望。その濃度の高さが、「もうひとつの時間」をもつ人間特有のオーラを生んでいるように思われる。

穂村弘『整形前夜』


 夢をもつ、上を目指すということは覚悟が必要です。もがいて闘って、自らの非力さに悔しくなったり、周囲で切磋琢磨する人達を見ては妬んだり、特に芸能界は、絶望するにはこれ以上ないぴったりの場所。若くして絶望するとはどういうことなのか。門前さんの無垢の優しさは絶望からくるのだろうか(いえ絶対親が素晴らしいのです)。門前さんに絶望したことがあるか、いつか聞いてみたい。


 孤独や絶望は、闇に最も親しい仲間です。アイドルにとって、夢がもたらす孤独がいちばん際立つのは舞台袖で出番を待つときではないか、僕はそう思っています。ライブの裏側を追いかける映像で、暗い舞台袖から真横の明るいステージを見つめる、そういうシーンをよく見かけます。誰であれ、僕はそのときのステージを見つめるアイドルの視線、その狂おしいほど真摯な眼差しが大好きです。夢を持つとはこういうことであり、頼れるのは自分しかない状況が孤独の美しさを生んでいると思います。ステージから漏れる照明でうっすら照らされる門前さんの横顔、見てみたいですね。絶対に美しいはずです。


 こんなことを書いて人でなしのように思われるかもしれない。言葉の彫刻刀で削るように、人を固く柔軟でないものに変化させているのかもしれない。でも書いておかないと失うものがありそうで、それは書いても失う、どちらにしても失うような気もします。


 闇と関係するか微妙ですが、門前亜里さんの影響で浅野いにおの『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション』(以下デデデデ)を読みました。好きなアイドルが読んでるからと何かに手を出したのいつ以来だろう。数年ぶりの浅野いにお作品。浅野いにおの漫画は好きだけど嫌いという、よくわからない感じです。好きとも嫌いとも断言出来ない。興味無いならこんなこと書かないわけで、引っかかるものはあるのです。これまで読んだことがあるのは『素晴らしい世界』『ソラニン』『おやすみプンプン』を途中まで。そのくらい。漠然とこの人は苦手だなと思いつつ、でも次は好きになれるかなと手に取るのだけど、やっぱり…、という感じで内容もよく覚えていません。読んだ片っ端から記憶を消去していたように思います。青臭くて、でもこんなのかっこつけたくて苦悩してるだけだよと、親近感がありながらも忌避していました。しかし、このデデデデは意外と好きな感じで、考えてみたところ『苺ましまろ』を想起させることに気付きました。なるほど。かわいいは正義なんです。それと同様に、嫌いになれない理由の大きなひとつとして、主人公の小山門出さんが門前さんにとても似ているのです。これは寧ろ門前さんが門出さんに似せてきているのではと思っています。好きな作品に感化されるというのはよくあることで、にしてもマンガの中の門出さんが門前さんっぽい。非日常と日常が不思議に混ざって、青春がどんどん加速していきます。現実のディテールととてもリンクしているので、今しか読めない、数年後読んだら時代遅れ感が出てきて褪せそうな、焦燥感たっぷりのマンガです。あまり、そこに集約するのはどうかと思うけど、主人公の2人が可愛い。いろんな悩みを抱えつつも明日は来るわけで、意味不な敵はいても学校はあるわけです。可愛い、と同時に強い。その強さに門前さんがオーバーラップしてきます。たまにはいいですよね、10代っぽいマンガも。ちなみに最近読んでいちばんグッときたマンガは『子供はわかってあげない』です。


 ちょっと書いてはいけないことまで書いてしまったかもしれないけれど、これだけ書けたのは門前亜里さんが好きだからです。だからといって許されるかどうかはわからないけど。これでよかったのかはわかりません。でもどれだけ言葉を並べても、これはただの文字の羅列でしかなく、門前さんに近づくこともない。雑音よりは沈黙が正義なのかも、と思いたくもなります。でもそれだと伝わらない。小さい頃、言わなきゃ何も伝わらないよと、ことある毎に母親から言われたことを思い出します。だから絞り出す、慎重に大胆に。ありきたりな文章でも。


 好きな人の言葉はなんだって詩になるとよく言われます。確かに門前亜里さんが紡ぐ文章は詩です。歳を取ると、なんでも内に飲み込んでしまって、他人の意見でコーティングされた薄っぺらい言葉で満足してしまいがちだけど、門前さんの言葉は何度も消しゴムを使った痕跡があり、だからこそ切ない孤独があります。頭がよい門前さんなら、その苦悩すらもファッションでしょと言いそうですけどね。昔、まだ門前亜里さんがInstagramをやっていた頃の、写真に添えた言葉が大好きでした。


 門前亜里さんのように、出てくる言葉がなんでも詩になる人と、いくら並べ替えても明日の天気さえ読み取れない文字の塊、でしかない人がいる中で、僕は当然後者なわけです。そもそも詩を書くつもりは無いのだけど、せめて誠実な文章は書きたいと思っています。少女の闇について書いておいて誠実なんて、東京の夜空を見上げて南十字星を見つけるよりも夢見がちだろうけど、せめてビルの隙間から見えるぐらいの星にはなりたいと思う。どだい東京は明るくて、9等星ぐらいじゃ見えないか。


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 ハコイリムスメはまだまだ新しい散開星団で、ガス雲を輝かせて包み込むように周りの若い星を守っているのが門前亜里さんです。門前さんでさえまだ17歳で、何かを背負うには幼いのに、健気だと思います。その姿を見ると、どうか幸せになってほしいと心から願いたくなる。門前さんには、今の門前さんの信じているものを大事にしながら進んでいってほしいです。


 どんなときも明日が来るのを怖がらない勇気を、僕はハコムスの皆さんから頂いて、お返しといったら感謝の言葉ぐらいしかないけれど、その気持ちが少しは届いていればいいなと思う。特に何も無い日でもありがとうと言いたくなる、今のハコムスはそんな存在です。本当にハコムスには救われています。そんなハコムスの3月の定期公演も楽しみです。公演タイトルにあるように、決意は静かにするものだっていう、謙虚な強さがハコムスらしいです。待ち遠しい。自分もがんばらなきゃ。
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