ままごと『わたしの星』2017

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夏の空、高校生たちの星間飛行


時報を合図に、少女と星の一生を描いた『わが星』。
その世界観を引き継ぎ、2014年に現役高校生たちと共に上演された『わたしの星』。
あれから3年。高校生キャスト&高校生スタッフを再び公募し、メンバーも新たに創作する2017年の『わたしの星』。彼らとともに「ままごと」がおくる、夏の日の物語。


2017年8月17日[木]‐27日[日]
三鷹市芸術文化センター 星のホール
作・演出|柴幸男

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 素晴らしい舞台、素晴らしい夏でした。ありがとうございました!!!!!!!!!!




 またあの夏が帰ってきました。3年前と同じタイトルなので再演と称してもいいのですが、まったく新しい演劇作品となっていました。幾つかのモチーフは継承されているものの、今回のキャストに合わせて台本も新しく書かれています。しかし最も重要な要素、この作品のために集まった高校生が夏休みを通して稽古して、夏の終わりに上演し、公演と夏の終わりと共に再び散り散りになる、青春と夏の刹那を感じさせる『わたしの星』の肝となる部分は変わっていませんでした。これこそが『わたしの星』。作品のために集まるというのは別にこれに限ったことではないですが、何故か『わたしの星』はその集結と離別がより特別であるような気がします。3年前と同じように高校生が集まり、そしてそれぞれの道を進む。緑の濃い三鷹の街で濃密な時間を過ごし、別れた先に何が残るのか。新しい『わたしの星』は、私達は孤独ではないこと、失っても残り続けるものについて、ひと夏をかけて直球でぶつけてきました。


 最初に断っておくと、一般的な演劇ファンの感想からはだいぶ離れたものとなっているはずです。演劇論的なのもわからないし(わかったほうがいいんですけど)、普段はアイドルのライブによく行ってる人間なので、『わたしの星』に関してもアイドル好きから見た感想となっています(ただジャニオタみたいにジャニオタが見た◯◯みたいな主張の強いものにならないよう努力したつもり)。いつだったか公演を観た後に喫茶店で知り合いと感想を言い合っていたら、近くのテーブルでも同じく『わたしの星』を観たグループがいて、その人達が(私からしたら)高尚な演劇論を戦わせていて、そういう見方もあるよねと認めつつ、いやそうじゃないんだよ違うんだよ、と心の中で反論する体験がありました。おそらく自分のほうが異端なのはわかっているので、いろいろな感想を持てるのもこの作品の素晴らしさのひとつだと思って、ジャンル違いの者が『わたしの星』を観た感想だということを前提にして読んでもらえればと思います(これがたぶんアイドルのことになったら逆の立場になるのでしょう)。


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 今作は前作初演と違い、ステージの作りから変わっていました。真ん中にカセットテープを模したステージがあって(と言われてもどちらかというと筏に見える)、その長方形ステージの長辺側2つには客席、短辺側には楽器が二手に分かれています。開演前に場内に流れるのは蝉の鳴き声ではなくゆるやかな波の音。三鷹に海が現れました。時間になり10人の高校生のキャストが入場し、同じく高校生のスタッフによる開演前注意事項の読み上げが終わると物語は始まります。開演すると、そこからはずっとキャストは目に見える場所にいる演出で、ステージに上がっていないときも端で待っていたり楽器を演奏したりしています。キャストはずっとお客さんの目に触れる場所にいて、緊張の途切れる時間もなく大変だろうなあと思いつつ、私はアイドルなどが舞台袖から明るいステージを見るときの顔や佇まいを見るのが大好きなので、ステージ上で繰り広げられるストーリーを見逃さない程度で待機している演者がステージ上を見つめる視線を横目で眺めていました。


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 始まりは円陣、ヒナコの挨拶、スピカの独白。そう、その独白は3年前を鮮烈に甦らせてきました。姉のスピカから妹のスピカ。3年という月日を軽々と超えて『わたしの星』が三鷹に戻ってきたことに、初日を観たとき、その始まりから私は震えていました。カセットデッキに挿入されるのはスピカが持ち去ったカセットテープ。リピート、シャッフル、オートリバース。繰り返すようで繰り返さない、新しい『わたしの星』。遠いところから聞こえてくる懐かしいざわめきが突如立体感を持ってステージに立ち上がります。


 3年前はスピカとナナホという大きな物語がありましたが、今回はいくつもの小さな物語が小さな円を描き、交わり、大きな渦を作っていきます。誰かの物語にスポットライトが当たるとき、他の者は左右に分かれて楽器を演奏する。基本的にBGMはずっと彼らの演奏です。ギターが爪弾かれる瞬間の、最初の音色のハッとするきらめきよ。


 人類のほとんどが火星に移住してしまった世界、ずっと夏が続く地球の日本という島の小さな高校で毎年恒例の文化祭がもうすぐ開かれようとする直前、生徒のひとりであるスピカが勝手に火星に行ってしまいます。残された生徒と逆に火星から転校してきたヒカリがなんとか文化祭を成功させようとする、それが『わたしの星』の大枠の流れです。細かい点は変わっていて、その中で最も大きな変更点は、初演時はスピカ役がいて、スピカがしっかりとステージ上で生きていたのに、今回は始めからスピカが不在の者として物語は進むことです。脚本演出の柴さんによれば、最初は初演通りにやってみたけれど、どうにもスピカにしっくり合う人がいなくて、最終的にヒカリといないスピカが二人一役となったとのこと。その2人を札内萌花さんが演じます。初演でスピカを演じた札内朱梨さんの妹です。スピカが受け継がれている。もうこれだけで胸がいっぱい。スピカとヒカリに特徴的な違いはなく、気を緩めると彼女は今誰なのかわからなくなるような、それは地球を去ったスピカの代わりにヒカリがスピカを演じるからでもあるのですが、むしろどちらでもあることが幽霊的でもあり、物語を幻惑的に霞ませています。


 そう、今回の『わたしの星』はキーワードとして「幽霊」という単語が頻出します。イズミとイオは幽霊の話で盛り上がり、他の生徒の思いなどいざ知らず自由気ままに彷徨するスピカはまるで幽霊のようです。話が進みながら、スピカがステージに存在するとき、私達は彼女の姿をステージに見ることはありません(スピカがいるのは文化祭の出し物を決めるときぐらいでしょうか)。見えないスピカを他の生徒もお客さんも見ている。見えなくてもそこにいることはわかるし、わかることに気付けることはとても心強いものです。それは遠く離れた人を想うこと、別れてしまった人を想うことに通じます。不在であることがより存在を色濃く、それは生きているという事実以上に私達の支えとなる。喪失感がありながらも決して孤独にはならないよう、寄り添う空気が全体を通してありました。


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 遠くへ行ったスピカを中心に物語は進みます。中盤の大きな山場、消えたスピカを探すために奔走するヒカリを含めた10人。キャストが代わる代わる演奏しながら10人が2人ずつ5組、ステージで錯綜するのは5つの人間関係の物語。演奏されるのはtofubeatsの『Don’t Stop The Music』のリフを用いた曲です。印象的なDSTMのフレーズが繰り返し劇場に響きます。


 初日、このシーンで彼らの演奏がどこかで聴いたことあるなと思いながら、徐々に記憶から砂嵐が消え輪郭が浮かび上がって、最終的に『Don’t Stop The Music』だと合点がいったとき、声にならない声を我慢しながら泣いた。バイオリンで奏でられるDSTMのリフが美しすぎて、それがステージ上で繰り広げられる青春と共鳴するとさらにドラマチックに響き、それはただの『わたしの星』の再演から、私にとって特別な『わたしの星』へと変わりました。


 少し脱線するのですが、会場である三鷹市芸術文化センター星のホールのロビーでは『わたしの星』のビジュアルのスライドショーが流れていて、初演時も同じようにスライドショーが流れていて、そのときは一緒にBGMも流れていました(今回はBGMなし)。そのBGMのプレイリストの1曲にtofubeatsの『水星』があり(うろ覚えですがikkubaruのカバーだったような)、星にまつわる曲を集めたプレイリストでさもありなんと思いつつ、全体的に選曲者と趣味が合うなと当時は感じていました。なのでtofubeatsと『わたしの星』の距離が近いことはわかっていたにもかかわらず、実際に舞台で使われると感動の度合いがまったく異なることに我ながら驚きました。


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 ここで今、tofubeatsなのです。東京ではなく神戸にこだわるtofubeatsの楽曲を、人類があらかた火星に移住してしまった世界で、地球に残る子供達が演奏する。それは東京至上主義への出来すぎた反抗にも思えた(しかしそれがリアルに演奏されているのが三鷹という東京の土地なのが皮肉ですが)。アフタートークによると、tofubeatsの楽曲が選ばれたことは本当に偶然とのことで、しかし私はそこに意味を見出してしまいます。ここでtofubeatsなのかという気持ちで胸がいっぱいです。また、意味云々抜きにしても、単純にうれしい。好きなものと好きなものがこうやって繋がることにこの上ない幸せを感じます。ずっとtofubeatsの作る音楽が好きでいて、定期的に自分の人生と美しく交錯する音楽を届けてくれるtofubeatsと、まさかここでこういう形で出会えるとは。

Don’t stop the music
もしかして
あの曲が聞こえるから
耳を澄まして


 耳を澄ますといつだって波の音が聞こえてくる高校で、波よりも強くぶつかりあう10人5組。小さい世界で嫌でも向き合わざるを得ない彼らはそれぞれが相手に複雑な感情を抱いている。好き、嫌い、羨望、蔑み、恋。高まった声の波頭がぶつかり合い、しぶきがきらめきます。10人が作り出す万華鏡のような時間は、現役の高校生であるこの世代にしか出し得ない光を放っていました。それは、眩しくなるような青春など自分にはなかったはずなのに、存在しなかった青春があたかも存在したかのような錯覚さえ起こさせるほどの若く鋭く清冽な感情の洪水でした。眩しいことなんて観る前からわかっていたはずなのに、それでも初めて知った感覚のように眩しさに目を細める。目の前にして向き合ってこそ伝わる剥き出しの若さがあった。彼らが生み出す感情が音となって空気を満たしていきます。そのテンションが最高潮に達したとき、強くビートを刻んでいたカホンが消え、バイオリンのリフが浮かび上がったとき、文化祭を諦めようと弱音を吐いたヒビラナに対してタイちゃんは叫びます。「私達はひとりじゃない!」。ありきたりで、どんなにフォトジェニックで詩情あるインスタグラムでさえ添える言葉としては白々しいと躊躇うような台詞を、タイちゃんは叫びます。そして私は泣きそうになる。そのあまりの清く汚れていない心根に、動いて叫んで奏でた先のすべてを削ぎ落とした青すぎる勢いに泣きそうになる。疲れきった満員電車の中だと綺麗事にしか聞こえない言葉が、あの瞬間、これはミラーボールと言い張りながらバランスボールを抱えたタイちゃんが言うと、それは暗黒の宇宙空間を貫く星の光のように、私の心の中心をまっすぐに突き抜ける。あざといのは十分承知の上です。それはアイドルを見て感動したときと同じような感動を起こさせました。


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 わかっていたことですが、言葉を重ねる毎に空虚さが増していきますね…。わかってる、ただ文字を捏ねくり回しているだけだと。親しい人にならば、この舞台最高だったよの一言で伝わることでも、普通の他人はそんな以心伝心で伝わるわけはないのでついつい長文になってしまう。しかし言葉を重ねて文章が重くなるにつれて、この舞台は本当はここまで言葉を必要としないはずなのになあという思いも強くなります。そして文章が長くなると解像度も粗くなるのか、大切なことはいつも単語の隙間から零れ落ちて、気の抜けた文字の羅列は読んだそばから忘れ去られる。余談だけど星のホールのロビー売店では飲み物としてサイダーとラムネしか売ってなくて、この物語には炭酸水が合いますみたいな青春ソムリエのアドバイスでもあったのだろうか。しかしまあ、この舞台を青春だよねキラキラだよねで終わらせるのはあまりにもったいなくて、一言でまとめられないもっと繊細な時間が流れていたはずで、だけど歳を重ねるとその感受性が鈍ってきている恐れもあり、不安になりながら感想を書いているけれどやっぱり何か違うんですよね。絵を描ける人はイメージとして易しく伝わるから羨ましい…。


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 カセットテープのように巻き戻されたり早送りされた時間は、ヒカリが文化祭に参加することを了承したところから、教室でスピカが別れを告げる場面に一気に戻ります。暗いステージ上にはヒナコひとり、他の演者は一方の端に全員で肩を寄せ合っています。それまで両端にバランスよく分かれていた演者が、ここで初めてひとつにまとまって寄り添う。このときの涙を拭いながらも一心にヒナコを見つめる彼らの眼差しがとても美しい。私達はひとりじゃないことに気付き、やっと団結した高揚感と、これから始まる時間への希望が見えました。だからこそ次に訪れる教室のシーンは優しい光に溢れていて、生徒が教室に入る毎に輝きを増していきます。まずヒナコの元にスピカがやってきて、ひとりずつ生徒が集まってくる流れのなんと穏やかな雰囲気であることよ。皆が集合し『COSMIC DANCE』を踊り始めるタイミングを伺うときの、それぞれの交わす視線の柔らかさは、いろいろあるけどこの星に一緒に生きる者として認めあった者同士の連帯感が感じられました。あの瞬間の優しさが大好きです。そこからのヒビラナの「いっせーのーせ」は、毎回その響きに感動しながら、最終的に私は祈りながら聴いていました。


 ヒビラナの合図で始まる『COSMIC DANCE』は、初演よりもコンパクトになりつつも全員で踊ることで躍動感に満ちたパフォーマンスとなっていました。スピカ捜索のシーンでも組んだ5組がこのときもペアになって踊ります。それぞれの相手を見つめる眼差しが慈しみに満ちていて、よかったよかったという親のような気持ちでいっぱいになる。ひとつの大きな円を作り、横っ跳びで大きく移動するときの加速が爽快でたまらない。ひとつの円がふたつの円になり、回転方向の異なるふたつの円が交わって、回る生徒が手を取り合う瞬間のグッと相手を引き寄せる頼もしさ、特にモップを持ったジュンジュンの飛ぶような移動の速さがかっこよくて最高です。回りつつ再びペアになるとき、いつもの相手と巡り会えたうれしさを全員が顔に浮かべていて(いやジュンジュンはまた兄貴かよという顔だったかな)、巡り巡ってもイズミと再び手を取り合えたイオの幸せそうな表情がとっても素敵でした。女子は回転するときにスカートがふわりとひらめくのが美しかった。今回の制服は青いジャンパースカートで、海を想像させる青なのでプリーツが波のようにも見える。あの青は何色というのだろう。青、天色、群青色、露草色。踊っている瞬間、青い風が舞っていた。


 で、最後にミラーボールです。おばけ屋敷、演劇、バンド、合唱。協調性のない生徒によって出された文化祭の案の最後のピース、プラネタリウムが最後ミラーボールとなって出現します。そのミラーボールを持ってきたタイちゃんの表情がとても晴れやかで愛おしい。あのシーンだけ大仰で感動的な音楽をバックにスローモーションで見たい。鍋やら何やらいろいろな物体がくっついたゴツゴツの手作りミラーボールは、私達の知っているミラーボールとは似ていないけれど、それは確かにミラーボールで、そのいびつさこそが若さの象徴とでも言わんばかりに存在感だけは大きい。それがタイちゃんの合図と共に光り、天に上っていく様子はとてつもなく優しさに溢れていて、その一等星はどんなときでも私達を見守ってくれるような包容力を湛えていました。


 そしてミラーボールといえばtofubeats

めくるめくミラーボール乗って水星まで旅に出ようか


 未だに彼の代表曲といってもいい『水星』。本当のところは関係ないはずだし、『わが星』にもミラーボールが出てくるので、ままごとの舞台にミラーボールはよくある装置というのはわかっているのですが、それでもこのタイミングでミラーボールというのは運命を感じざるを得ない。この世界で人類が旅立つ先は火星で、人も少なくなっていくけれど、私達はまだひとりじゃない。ミラーボールが回り続ける限り音楽は止まらないし、私達は踊り続ける。回転するミラーボールを見つめるスピカとヒナコはとても穏やかで、それはたとえ遠く離れていても、あなたという星は必ず側にいるとでも確信している強さがありました。そしてそれを見つめる私も、この光が支えとなることを確信しています。逃れられない別れの多かった最近の自分だけど、それでも生きなければいけないわけで、その中で「続ける、続けていく」ことに何よりも希望があると信じているのですが、そういう今の心境と『わたしの星』の繰り返し回り続ける感覚が共振して、今観れて本当に良かったなと思っています。止まっちゃだめなんだよ。


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 初演に続いてキャストそれぞれの感想です。全員に手紙を書いた知り合いもいたし、アイドルや女優さんには手紙を書きまくる手紙魔の自覚もあるけれど、やっぱり自分は書けませんね。さすがに普通の高校生には躊躇してしまうし、そこで踏みとどまって正解だと思うようにしています。


イオ(池田衣穂)
 いつも一緒に行動するイズミに片思いしている子。まず名前が美しい。まるで『わたしの星』のために生まれてきたような名前じゃないですか。予想しているよりも早くイズミが火星に行ってしまうことを知った彼女の「私達の2年は、2年じゃない!!」は、その劇的さも相まって胸を打つ(しかしここは音楽と合わせるのが難しそうでしたね)。青春の時間の大切さは歳を重ねればわかることで、当の本人達はその意味を認識しなくてもいいはずなのに、そこで言わせるのは残酷ではと思ってしまいました。まあそうはいっても青春の真っ只中にいる者はだいたい真っ只中にいることに意識的だと思いますが。そこからの告白と拒絶はつらいけれど、女子から女子への告白にまったく違和感を感じないのは今が2017年だからなのかそれともハロプロで鍛えられたからなのか自分でもよくわかりません。そしてイオといえばバイオリンが本当に素晴らしかった。この作品の空気を気高く引き締めていたのは確実にバイオリンの音色です。『わが星』と同じようにヒップホップからのアプローチが強い『わたしの星』において、今回はバイオリンが存在することでより叙情性が増していました。それは波の音とも合っていました。彼女が奏でる『Don’t Stop The Music』のリフはずっと聴いていたい良さがあります。本当に彼女が選ばれたことに感謝しかないです。


イズミ(太田泉)
 恋バナと幽霊の女の子。演者さんの名前がすごくパトレイバーっぽいと私の中だけで話題。そう思うとパトレイバーのあの2人のキャラを掛け持ちした性格を演じているようにも見えてくるから面白い。毎回変化する除霊のポーズが大好きだし、タイちゃんは可愛いけど美少女ではないというやり取りは、僅かな間の違いや声のニュアンスで面白かったり微妙だったりしてしまう難しいところを必ず笑いに繋げていくのがすごいなあと笑いながら思っていました。初めて見たときからなんだか既視感のある人だなと感じていて、しかしどこで出会った人と似ているのかまったく思い出せなかったのですが、何回か舞台を観た後の朝やっと思い出しました。中学の同級生だったバスケ部の女子Aさんだ。Tシャツを着たら袖捲りしそうなところも似ている。私が自分の過去を思い出したように、学年にひとりはいそうなタイプの体育会系の女子で、実はモテるんですよね。イズミはいつも馬鹿話ばかりしていて、健康的で元気だけは有り余っていて、だけど現状に不満を持っている。それはたとえ火星に行ったとしても不満を言ってそう。男がいないというのは理由のひとつに過ぎなくて、とにかく今を脱したいという気持ち、わかる。田舎の実家に住んでいた頃の私がそうだった。自分の中にも今いる場所にも何も無いことがわかっていて、トウコとは別の意味で醒めている彼女の希望は火星であって、それは東京に憧れを抱いていた過去の自分とも重なって、とても切ない。スピカを探しても見つからなかった場面で毎回涙混じりの声で話すんですが、そのときのイズミの立ち位置がどこから観ても上手い具合に他の人で隠れていたり背中だったりで、顔が見えないおかげで余計声から想像してしまってつらくなります。純情ですよね。初日のアフタートークで「私は緊張していないのに、周りが緊張していたからそれがうつった」と言って飄々としていたイズミですが、千穐楽では誰よりもボロボロ泣いて目を赤く腫らしていたのは私が想像するイズミらしさそのままであって、そのまっすぐさが尊いです。あと、これを書いているときに公開された自己紹介ラップのイズミがめちゃめちゃ最高なので、これは生で見たかった。


ヒカリ/スピカ(札内萌花)
 まずオーディションで選ばれたキャストが発表された時点でおや? と思いましたし、同じような『わたしの星』ファンから札内朱梨さんの妹ですと即返信がきたときは、運命ってすごいなという気持ちでいっぱいになりました。彼女は2014年の初演でスピカ役を演じた札内朱梨さんの妹さんです。姉妹揃ってスピカを演じることになりましたが、今回はヒカリとスピカの2役。難しそうでしたね。スピカは人懐っこく、逆に火星から転校してきたばかりのヒカリはまだ溶け込めていない距離を感じさせる、しかしそこに明確な境界線はなく、どっちでもいいのではないかと最終的に思うようになりました。ここはどう解釈するのがいいのかわかりませんが、ヒカリがスピカを演じているとして、ステージ上の存在はヒカリでもスピカでもある者というように考えています。ヒカリであってもスピカであっても一貫して傍観者的な立場で、それはカセッテテープから流れる声を聞くぐらいの距離感でもあって、ともすれば青春の渦に飲み込まれてぐちゃぐちゃになってしまいそうな空間に落ち着きを与えていました。ともかくも姉妹で『わたしの星』というのは感無量な気持ちになります。アフタートークで語っていましたが、姉がやったのだからここは私がやるしかないとオーディションに応募したという覚悟がかっこいいです。始まりのシーンから3年前を思い出させて、初日を観たときはやばかった。スピカ戻ってきてくれてありがとうという気持ちでいっぱいでしたから。火星に向かうロケットの座席に座るスピカで舞台が始まって、そして終わるのですが、そのときの横顔が凛としていてとても綺麗でしたね。ポストカードや折込の高校便りにもイラストで描かれているその横顔は、遠くを見ているようで過去に戻っているようでもあります。あのシーンのスピカは本当に美しく、星空を眺めるかのように心落ち着かせるものがありました。ただ、文化祭に参加してほしいと頼み込まれる場面はつらいですよね…。あれ絶対断れないじゃん。つらいなあと思いながら観てました。まだ出会ったばかりの人達だけど、捜索のシーンでずっと傍観者だったヒカリがいろいろな思いを受け取って、だからこそ最初こそ断っても了承したのだろうか。あと、札内萌花さんは最高にグッとくるシーンを最後に用意してくれていました。千穐楽が終わった後、ロビーや会場入口でキャストが皆でわいわいしていたのですが集合写真を撮ろうという流れになったのです。そのときヒナコがその場にいなくて、ヒナコはだいたいロビーの奥の方にいるのですが、札内萌花さんは奥まで行ってヒナコの手を取り一緒に走って戻ってきたのです。スピカがヒナコを引っ張って全力で走ってる!!!!!!!!!! やばい!! エモい!! 現実が物語を飛び越えた!! 私の横を2人が颯爽と駆け抜けながら、スピカ〜ヒナコ〜という気持ちで本気で感動してしまい、今書いているこの瞬間もあのときを思い出して泣きそうになっています。


ヒナコ(須藤日奈子)
 スピカと小さい頃から付き合いがあって、スピカと陰と陽の関係となる女子。初演のナナホと似たような役回りです。他のキャストかスタッフが描いたと思われるヒナコの似顔絵をいくつか見れたのですが、どれもそっくりで、彼女の醸し出す雰囲気は静かだけど特徴的なんですよね。ただ、アフタートークで柴さんは、彼女は本当は面白いのにストーリーの鍵となる役を任せたおかげでその面白さを引き出せなかったと言っていて、そう聞かされるとヒナコの面白いところが気になるじゃないですか。自己紹介ラップのリリックも猫科の動物を連呼していて(けものフレンズ好きなのかな)、猫科の動物になりたいってやばいじゃないですか(なりたい動物がピューマとかだったら尚のことやばい)。舞台とは全然関係ないところでもっと内面を知りたい。正直なところ、私はキャスト10人のなかで彼女がいちばんすごいなと思っています。舞台上で見るだけでも、おっとりのんびりしている空気を身にまとっていて、どうにも掴み所がない。周囲に怯えているようでもあり、周りに惑わされずマイペースなようでもある。ストーリー上では両親を早く亡くしたヒナコは幼馴染のスピカを母親のように思って生きてきたが、スピカに言わせると「ヒナコは何だって出来る」と、弱くもなくその可能性を認められている。それは須藤さん自身に対してもそうなのではないでしょうか。『わたしの星』をやりきったことがそれを証明しています。話を舞台の外側に持っていくと、この舞台はオーディションで選ばれた人が立っているわけで、ということはオーディションに応募しているわけで、前回もそうだったけれど、所謂意識の高い高校生が多いわけです(褒め言葉です)。演劇に限らず様々なことに意欲的で、新しいことに挑戦する気概のある者が集まっています。そんな中で須藤さんは初めての演劇を、しかもしっかりとお金を取る商業演劇に挑戦しようとした。初めての演劇は不安も大きいだろうし、どうして応募したのかとても気になる(インタビューだとその部分が深く掘り下げられてないのが残念)。そのほわわんとした佇まいからは想像できないチャレンジ精神がすごいというかやっぱりやばいというか、これが若さなのかなと思ったりもします。そんな中で、ステージ上でもあまり出しゃばらず、ふんわりした雰囲気のヒナコは異質で、だからこそ逆に目立つ光を放っていて、私はそこに注目してしまいました。初めての舞台でしたが、柴さんはそんなヒナコを上手く演出していたように思います。彼女の特徴として、台詞をひとつひとつ区切って、丁寧に発するという点が挙げられます。それは須藤さん自身の自然なやり方なのかそれともそういう演出なのかはわかりませんが、空気に優しく浸透させるように、台詞を言うというよりはそっと置いていくヒナコは、とても柔らかい存在感がありました。ツイッターで誰かが述べていましたが、マームとジプシーっぽさがあり、それは反復というところにも表れていて、彼女がカセットデッキを前にして言う「思い出します。ただ、思い出します」は、キーフレーズとしてとても印象的で、ヒナコの声だからこそ静かに確実に響いてきました。あとヒナコの視線いいですよね。最後に別れるときにヒナコはスピカに「あなたのこと嫌いだった」と告白するのですが、それを知った上で2回目を観ると、最初のシーンでのスピカを見つめるヒナコの視線がひとつの感情では表せきれない複雑さを孕んでいて、ハッとさせられます。最後に、毎公演よくあんなに綺麗に椅子から落ちられるなと思っていました。


サヤハ(関彩葉)
 すごく綺麗な発声ですよね。声というとどうしてもヒビラナの声が印象に残りがちですが、サヤハの声は聴いていて明瞭でまっすぐ届いてくる快さがあって、それがとても良いなあと思いました。その声がいちばん魅力的に感じ取れるシーンがボートのシーンです。あのシーンでのコックス(舵手)のサヤハは最高に青春ですよね。彼女の叫び、何度観てもここで泣きそうになる。大声で叫ぶ「この星にはいつも海があって、私達の制服はいつも潮の香りがする」には、どうにも変えられない世界でもどかしいけれど、どうにもならないけどとりあえず全力で漕ぐんだよ、というやるせなさが強く感じられます。唐突にカットインするボートのシーンが唐突すぎて、しかも唐突に終わるので、今のは何だったんだという圧倒的に無意味な青春感に溢れていて、そこで全力で叫ぶサヤハに心をギュッと掴まれては毎回泣きそうになります(というか泣いた)。声がすごくまっすぐだから、あぁ、この人だったら任せられると思わせる信頼感がある。だからこそのコックスなのだと思います。ヒビラナの声のような、みんないろいろあると思うけどそれぞれ認めあってうまくやっていこうよと感じさせる包容力とはまた別のベクトルで、皆を引っ張っていくような推進力のある声が魅力的です。だからこそトウコを変えられたんじゃないでしょうか。スピカの捜索のシーンでのトウコに対するサヤハの言葉は、好きとか嫌いとかを超えた苦しんでいる者への無償の愛があった。あと細かいところだけど、カホンの叩き方というかカホンを叩くときのサヤハの姿勢がいちばんかっこいいです。あとあと靴下可愛い。


トウコ(土本燈子)
 現実と戦っているトウコ。ボートのシーンのトウコが普段の醒めてるときと正反対の熱血っぷりで最高にかっこいいというか、やっぱりボートのシーン最高ですよね。幼馴染のトウコとサヤハがボートを統率するのが少年漫画っぽい。大学のある火星に行きたくても行けないトウコが叫ぶ、「こんな海に負けるな! こんな星に負けるな!」はそのまま、こんな現実に負けてなんていられない、と自分への励ましにも聞こえてきます。ボートのシーンではひとりひとりちゃんと観察しながら注意を与えていて、それは常に一歩引いて全体を見ながら稀に全員の注目を集めるところにも通じていて、そういうのは役回り的にヒビラナでもいいのに何故かトウコで、距離を置いているようで干渉しがちなのはやはりトウコ自身が狭い世界で揺れ動いているからだろうか。彼女も生きづらさを感じていますね。しかしサヤハの言葉で気持ちに変化が起こる。文化祭の件でヒカリに真っ先に頭を下げるのがトウコで、その場面でトウコなんだという感動がある。去ろうとするヒカリを引き留めようとした「待って!」という言葉がトウコから発せられたことに感動があり、そのときのトウコがヒカリではなく他の8人を見つめながらヒカリを引き留めたことに感動がある。全員に対して近づきすぎない距離感を保っていて、それは彼女なりの処世術なのだろうけど、もっと溶け込みたいという気持ちもやっぱりあるのかな。そんな自分を変える第一歩が、ヒカリへのお願いの場面であって、その瞬間新しい地平が見えて世界が広がっていくのが素晴らしいです。ヒカリが了承して一気に場が和んだときの涙を拭うトウコが本当に晴れやかで、こちらまでホッとします。笑いどころとしては、皆で海に飛び込んだ後の水の掛け合いで、目がマジで怖いのが最高ですし、声が裏返りそうでギリギリなのは狙ってなのかわからなくて、そこで笑っていいのか結構迷いました。


タイちゃん(田井文乃)
 不思議な言動で、この高校の道化役なんだけど、道化役が最も重要な役というのは物語の常で、ここいちばんのクライマックスでタイちゃんが「私達はひとりじゃない!」と最高の言葉を放って、それはタイちゃんが言うからこその引力がありました。演奏者が入れ替わっても途切れることなく流れる『Don’t Stop The Music』、カホンが消えてバイオリンが主役に浮かび上がった瞬間を背景にタイちゃんが叫ぶ、「私達はひとりじゃない!」。なくなったりいなくなったりばかりだけど、私達はまだひとりじゃないと、そう叫ぶタイちゃんは、いつだって笑顔のままでヒビラナを見ている。それはヒビラナに向けての言葉だけど、その場にいるすべての人に向けての言葉であって、希望でもあります。そしてその言葉が具象化したのがミラーボールであって、最後にすべてを照らすのです。ミラーボールを点灯させるときにクルッと回転するタイちゃんがとても可愛くて、あの瞬間のタイちゃんはやるせない世界に奇跡を起こした魔法少女のようでした。自己紹介では自虐しつつ、いつも笑ってるけど楽しいとかじゃなく、ただそういう顔なのです、と自分を肯定できている姿が眩しい。気になってても聞き忘れたのが、腰に付けてるたべっ子どうぶつは食べちゃったりしてたのだろうかということ。


ヒビラナ(日比楽那)
 長と付く役職すべてを任されている、高校のまとめ役。声がとっても美しい。ほわっとしていて声が羽毛に包まれているようで、聴いていて本当に癒される。ずっとその声を聴いていたいです。あと笑顔もほんと良いです。まとめ役として、みんないろいろあるだろうけどせっかく集まったんだし仲良くやろうよと包み込んでくれる優しさがあります。この声で言われたら逆らえない。だけどみんな自由だし、文化祭の出し物を決める場面での絶望が最高です。日比楽那さんは自分の強いところも弱いところも認めて、卑屈にならずに自信を持って生きている(ように遠くからは見える)のが、まだ高校生なのにすごいなあと結構尊敬しています。タイちゃんと同じように日比楽那さんもいつもニコニコしていて、だけど彼女にも彼女なりの苦悩があるはずで、あっても輝けているのは本当に素晴らしいことです。なんだかすべてを受け入れているような雰囲気がどうしても高校生には思えないんですよね。でもたまに弱音を吐きたくなることもあって、それがギターでの独白シーンや捜索シーンに繋がったと思うのですが、誰だって完璧じゃないし、つらいこともたくさんあって、でもどうにかして生きていこうとする中で支えとなるものが必要で、それが日比楽那さんにとっては演劇や映画や音楽など、タイちゃんが茶化してるところのサブカルに救われているのかなと、ツイッターのフォロー欄を見ながら考えてしまいます。ヒビラナの「私本当は合唱部になりたかった」という告白はわかりすぎてつらかった。今の自分を否定して現実逃避したくなるのは経験あるし、自分の人生ずっとそんな感じだからなあ。でもそこで続いてヒビラナが「なんどでも! なんどでも!」と言う度に毎回ドリカムのメロディーが浮かんでしまって泣き笑いの気持ちになるのヒビラナずるいです。『わたしの星』が終わって何が寂しいってやはりヒビラナの声が聞けなくなることかな。


ケンジ(成井憲ニ)
 兄。いい奴。憎めない。突っ込まれたり、馬鹿にされたりするときの表情がことごとく良い。本人は至って真面目なのに、周囲との絡みで否応なく笑いを生み出すのが、ケンジはもちろんのこと周りもケンジの扱い方が上手いなあと思います。初舞台とは思えなくて、キャラメルボックスの代表の息子という、これがサラブレッドの血が成せる才能なのでしょう。パンフにも尊敬する人物として父を挙げていて、そういう親子の関係を築けるって素晴らしいですね。スピカに秘かに片思いしていて、私の勝手な想像ではスピカは絶対気付いてるはずなんですがどうなんでしょうか。で、ケンジのいちばんの見せ場はロケットが飛び立つシーンなのですが、千穐楽にとうとうケンジがやってくれた。やばかった。エンドレスエイトだと思ったら違った。私が観ていたのは連続テレビ小説なのか。夏の連続テレビ小説『わたしの星』最終話「告白」。兄貴やるじゃん。それまでの公演では、スピカが乗っているであろうロケットに向かって「スピカ」と名前を連呼するだけで、はっきりと想いを伝えられなかったケンジが、最後の最後の千穐楽、天高く小さくなるロケットに届かんとばかりに叫ぶ「好きだ!」。千穐楽において渾身の告白。しかも韻を踏んでる。エンドレスエイトだと思っていたのは繰り返し観ている私だけで、千穐楽だけ観てもわからないのですが、何度もケンジの叫びを聞いていたから千穐楽の告白は、耳に届いた瞬間に「ケンジー!!!」と私も心の中で叫んでましたから。やっと、やっと告白したよ(泣)


ジュン(松尾潤)
 弟。ジュンジュン。こっちもいい奴。つまりすげーいい兄弟。広島からこの舞台のために上京してるというのが、岩手から東京に通いながら活動しているアイドルを推している自分にとってグッとくるジュンジュンポイント100万倍。地元で大人と演劇しているけれど、東京の舞台に出たいからオーディション受けたっていうの最高じゃないですか。嫌味にならないギリギリのチャラさが本当に良すぎて大好き。日に日に動きが大きくなっていくのが最高でした。ヒカリに椅子を勧めるシーンで、ジュンが愕然とするときの声の出し方が始まった頃の公演と後半の公演では違っていて、私は前半のほうの喉のてっぺんから出すような声のほうが好きでしたね。というか10人目となるとさすがに感想を書くのも疲れてきた…。ごめんなさい…。兄想いのいい奴だよ。カホンの可能性は感じないけど、思い出ソングで夢いっぱいバンドでセットストック目指そうぜと思ったらもう開催してないんですね…。もしも戦隊物やライダーをやる日がきたら日曜朝必ず起きて見ますから。大成することを祈ってます!!


スタッフ
 キャストと同様に今回もオーディションで高校生スタッフが選ばれました。スタッフオーディションにはキャストと違い作文課題があって、だからなのかわからないですがしっかりしたスタッフばかりで、アフタートークの話などもすごくわかりやすかった。個人的にはとても可愛い声を持つ鶴飼奈津美さんが印象に残っています。私が観た公演で2回、鶴飼さんが開演前のアナウンスをする回があり、その1回目では噛んで舞い上がってしまって、ハラハラしながら心の中でエールを送っていたのですが、2回目の千穐楽では失敗せずにアナウンスを成功させていて私も心の中で拍手してしまいました。公演時のスタッフの仕事は受付や場内案内や物販で、目立って表に立つのは開演前と終演後のアナウンスぐらいです。その他にお客さんの前に出る機会としてアフタートークがあって、私もスタッフのアフタートークを見させてもらいました。キャストに負けず劣らずスタッフも個性豊かで面白いのですが、その中でも特に面白かったのがやはり鶴飼さんで、この舞台のオーディションを何で知ったかという話になり、やっぱり折込チラシかなとか思っていたところで鶴飼さんの口から発せられた言葉が、「インターネットで見つけた」。LINEで教えてもらったでもツイッターで見つけたでもなく、「インターネットで見つけた」。検索してもノイズばかりで、大切な情報はインターネットに流れてこないものと信じるようになってきた今日この頃で、インターネットで見つかるものってあるんだという驚き@2017年。それ以外ありえないとでもいうような力強い口調での「インターネットで見つけた」はとても頼もしく、インターネットまだまだ捨てたもんじゃないなと、現役高校生の断言に感動してしまいました。「インターネットで見つけた」は私的『わたしの星』流行語大賞となっています。鶴飼さんは他にも名言があって、スタッフは制作運営スタッフと劇作演出スタッフの2職種あるのですが、どうして鶴飼さんは運営スタッフに応募したのかという質問で、その回答が「物事を動かすことに興味があったから」。大物だ…。最高。あと鶴飼さんはカメラもやっていて『わたしの星』の撮影係なのですが(多才すぎるでしょ…)、彼女の撮る写真がとても良いです。同じ高校生でしか撮れない距離感が写真に写されていて、それはもう大人には絶対に作り出せない空気があります。


 鶴飼さんが面白くて彼女ばかり褒めがちなので他のスタッフに申し訳ないのですが、高校生スタッフさんの最も重要な仕事が稽古記録です。稽古した日に何をやってたのか事細かに記録しておきます。その稽古記録がサイトで公開されているのですが、丁寧に記されていて素晴らしいです。日を追う毎に作品として形作られていくのがわかる。試行錯誤しているのもよくわかる。ネタバレを含んでいるので公演前に私は読まなかったのですが、今読んでも十分面白いです。寧ろ今読むべきです。スタッフはインタビュー企画もやっていて、そのインタビューもサイトで公開されているのですが、というかサイト管理も高校生スタッフが行っているのですが、そのインタビューのためにステージナタリーから人を呼んでインタビューのワークショップを開いたというのちょっと羨ましいですね…。他には会場の入口からロビーへの通路に学校にあるような掲示ボードがあって、そこにいろいろなものが掲示されていて、それもスタッフワークスですよね。そのボードに掲示されている写真が素晴らしいです。これも鶴飼さんですよね。私はトウコの写真が好きです。あと毎日めくられていった日めくりカレンダーは、グッズにしてもらいたいぐらいの良さがありました。あのイラスト、特にヒナコが可愛かった。いろいろ表に出づらいところで頑張っていたスタッフですが、サイトによるとまだ夏は終わらないらしいので楽しみにしています!!! とりあえず公演お疲れ様でした。


myplanet2017.amebaownd.com


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 それぞれの役からさらに踏み込んでキャストの印象や感想を書いてしまうのは、演じている役を通して演者自身が透けて見えてしまうからです。『わたしの星』ではオーディションで選ばれた高校生を柴さんがしっかり観察して、彼らの性格を丁寧に取り込んだ脚本を書き上げています。キャストインタビューでも、稽古中ふと気付くと柴さんがじーっとこっちを見ていると書かれています。当て書きされているので、役と演者自身の境界線がとても曖昧に感じられる。それがアイドルを見ているときと似ていて、彼らを見る焦点が揺らぎます。そういうのは観劇の作法としては違うんだろうなというのはわかってはいるのですが、つい覗き込んでしまう。もちろん、アイドルを見るときもステージがすべてだと思っていて、裏でどう考えていようがスポットライトが当たっているときが完璧ならばそれで良いというのが持論です。しかし、そこでアイドルを演じているときも本人の主体性が必ずあり、そうやって演じてさえいても滲み出てしまうパーソナリティーと、本人の目指す理想のアイドルとの危うい関係に私は引き寄せられます。その天秤の揺れがうまく調和したとき、美しいと思える瞬間が生まれるのですが、『わたしの星』も柴さんの力によって、現実と虚構の2つの状態が同時に共存する世界を作り上げていました。私が観ているのは演じられた青春なのか、それとも若者の本当の青春なのか。それはどちらも正しく、だからこそ両者が支え合ってとても強い物語を届けてくれたように思います。文化祭と似ていますね。だからステージを見るとき、役を見ていながら演者自身も見てしまいます。そうやって見ていると、皆の成長が半端ないのがすごくよくわかります。それまでも稽古で日々成長しているはずなのに、公演が始まってからもさらに成長していってる。皆、顔つきが変わって、どんどん凛々しくなっていくのを見て、すごいなあとため息しか出ませんでした。そりゃあ、親みたいな気持ちにもなりますよ。


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 素晴らしい舞台でした。瑞々しい夏をギュッと結晶化して、それがミラーボールとなり、三鷹の空から流れ星を降らせていました。観終わった後の夜の三鷹は、遠い昔の覚えていない夏休みの匂いがして、しかし公演を重ねるにつれて日に日に秋の空気となっていったのが本当に寂しかった。再び『わたしの星』を再演するのでもない限り、おそらくほとんどの高校生とは会うこともないだろうけど、それぞれの道をしっかり歩んでいってくれたらなと祈っています。悩んだりするときも、タイちゃんの「私達はひとりじゃない!」が寄り添ってくれていることを信じましょう。ほんの何日かの短い夏でしたが、本当にありがとうございました!!


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 ここからはおまけ。これは再演ということもあり、初演のメンバーもよく観に来ていました。スピカ役だった札内朱梨さんは妹が出演しているので何回も観に来ていましたし(ということを知ってるのは私も何回も観に行っているからなのですが)、たぶん日は違えど初演キャストは全員観に来ていました。中でも千穐楽が最も集まっていました。それで千穐楽の終演後に現キャストと初演キャストが邂逅する場面が生まれたわけですが、完全に時空が歪んでいた。3年の月日を経て、銀河と銀河が衝突したような光の乱舞が巻き起こっていて、それは現実感のない光景でした。今のキャストが本当に初代を尊敬しているのがわかり(特にイオ)、みんなそれぞれ思い入れがあるのだなとグッときましたね。初演キャストは皆大人になってて、3年という時間はやはり大きいことを実感し、私はまったく変わっていないことに愕然とさせられます…。ともかくも『わたしの星』に関わったすべての人の未来が輝けるものでありますように🙏🏻




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yuribossa.hatenablog.com

ハコムス×RYUTistサマーパーティー最高!!!!!!!!!

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yuribossa.hatenablog.com


 直前に期待ブログを書いたほど楽しみにしていたRYUTistとハコムスの合同野外音楽会こと真夏のサマーパーティーでしたが、期待以上の最高のサマーパーティーでした。さいこー!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
RYUTistもハコムスも最高だった。本当に最高だった。最高だったけれども、最高という感想以上の感想が出てこない。やばい。そしてライブの内容よりも蝉の鳴き声がすごかったという記憶のほうが勝っている。蝉時雨やばい。最高なライブを見たんだけど、どこがどう最高だったのか朧げな記憶しかなく、とにかく最高のアイドルソングしか歌われていないライブだとしか言えないのがもどかしい。所沢航空記念公園野外ステージのいちばん後方のいちばん高いところからライブを見ていたのですが、ステージから少し目を逸らすと夏の青い空と深い緑があって、スピーカーが静かになると蝉が元気を取り戻すような場所で行われたライブは、アイドルの夏の野外ライブは最高という思い込みが産んだ幻かのようで、見ている瞬間も少女達の歌と踊りと夏の暑さで夢現な時間でした。音楽に身体を揺らしながらぼーっと眺める先にいたRYUTistやハコムスの皆さんは、絶え間なく続く蝉の大合唱に惑わされることなく優雅に舞い、熱を帯びた空気を宥めるように歌声を響かせていました。このライブを最後に鉄戸美桜さんと阿部かれんさんは受検のため一旦活動休止してしまうのですが、最後に私も鉄戸さんも大好きな『ストローハットの夏想い』を歌ってくれたので思い残すことはないし、しかも続けてこちらもしっとりした曲調のオリジナル新曲『真夏の恋のファンファーレ』を披露してくれたので打ち上げ花火の如く私の心も昇天です。私は『海へ行こう!』のサビでの、放物線を描いて散る白い砂まで見えそうな阿部ちゃんの片足を蹴り上げる振付が大好きで、幾度となくその場面に立ち会っては阿部ちゃんがハコムスに入ってくれて、そしてこうやってずっと活動してくれてるのは素晴らしいことだなと感謝でいっぱいになるのですが、最後に緑に囲まれた公園で見せてくれた『海へ行こう!』も、夏はまだ終わらないのにセンチメンタルな気分にさせてくれるほど切なくも最高なパフォーマンスで、本当に「君に出会えてよかった」と思うしかない瞬間でした。ありがとー!! 最後に2組で歌った2曲も最高だったし、『なかよし』の大縄跳びの大団円感にはグッときたし、最高に最高なサマーパーティー。RYUTistもハコムスもありがとー!! 鉄戸さんと阿部ちゃんも早く良い報せが聞けることを願っています!!






natalie.mu

RYUTist『ラリリレル』とハコムス『なかよし』

 8月13日に所沢航空記念公園にてハコイリ♡ムスメとRYUTistによるフリーのツーマンライブがあります。どちらもタワレコ傘下のペンギンディスクというレーベルに所属する、アイドルを表現していく上で音楽をとても大切にしているグループです。


 私はこの2グループが大好きです。といっても新潟を拠点とするRYUTistについてはほぼ在宅ですが。ハコムスは今いちばん好きなアイドルグループですし、東京に住んでいるので滅多にRYUTistのライブを見ることはないのですが、RYUTistの曲は大好きでよく聴いています。先頃リリースされたRYUTistのニューアルバム『柳都芸妓』も大名盤で(『サンディー』が特に好き)、最近は毎朝家を出る準備をしながら聴く生活を送っています。


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 私がRYUTistの曲の中でいちばん思い入れがあって好きなのは、ちょっと古いですが『ラリリレル』です。週末に好きな人と会えることを楽しみにしている女の子の心情を歌った、純朴な恋を絵に描いたような曲です。


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ありがとね
ほんとにね
泣きそうだった 楽しくて
またあおね
つぎの日曜日
きっとここで過ごそね

ラリリレル | RYUTist(りゅーてぃすと)| 新潟市古町生まれのアイドルユニット!


 これがアイドルとファンの関係を歌っているように聴こえてくる。優しく語りかけるように歌われる歌は、疲れたときとか落ち込んだときにあと少し頑張れば週末は好きなアイドルに会える、そして向こうも会えることを心待ちにしている、と聴こえてくる。一言目の「ありがとね」からしてやばい。こちらこそありがとうだよと言葉を交わしたこともない彼女達に毎回感謝してしまいます。音源でさえ聴いていて泣きそうになる。それは聴く側の思い込みであり思い上がりでもあり、夢物語であることは百も承知だけど、こういう風に思ってくれる人がステージに立ってくれていれば素晴らしいなという願いが込められているように感じる。しかし何度も書くように、それはこちらの錯覚であって、あくまでこの曲は女の子の恋の歌です。この曲のように、聴く人によっていろいろな捉え方ができる曲が私は好きです。普遍的でどうってことはない歌詞にふと突然魔法がかかることがアイドルソングにはある。ありきたりの歌詞だからこそ、その時々の様々な感情と共振して、ときには深く心に突き刺さり思い入れが生まれる。それは個人の思い入れで、その人にしかわからない曲の聴き方だけれど、だからこそ強さがあると思います。そういうふうにアイドルソングで運命を感じやすいのは、若い人が歌っているからなのか、若いということは単純ということではなく、彼女達だって日々いろいろ考えているだろうし、その上でステージに立っている。そこには何かしら逡巡の末の決意があるはず。一言では捉えきれない様々な思いが心の奥底にありつつも、表現として表に出てくるものはその若い心と身体で濾過されて奇跡的に透きとおった踊りとメロディーというのが本当に美しくて、だからこそアイドルが伸ばした手と私の伸ばした手がパンッとハイタッチするかのごとく、アイドルソングが、この場合は『ラリリレル』がまっすぐと胸に響いてくるのだと思います。


 アイドルとファンの関係を歌った曲はファンの共感を得やすい。私も好きです。しかしたまにそれは違うんだよと思うこともあって、こういうブログを書くには何か裏があるに違いないと勘のいい人は気付くと思いますがその通りで、アイドルについてやアイドルとファンの関係についてを直截的に歌ったアイドルソングを最近何曲か続けて聴いて、伝えたいことはわかるけどそういう表現は無粋だなと思ったからでした。ファン側に寄ってこなくても感動は生まれうると私は信じています。何気ない歌でもアイドルが歌うと物語が生まれるのがアイドルのすごいところで、その瞬間に限りない感謝を感じるから、私はアイドルが好きなのだと思います。


 上で挙げたRYUTistの『ラリリレル』と同じように、私の大好きなハコムスにもいつ何時何回聴いても感動する曲があり、それが大切なときに必ず歌われる『なかよし』、チェキッ娘メンバーの上田愛美ソロ曲のカバーです。いつまでも友情が続くことを願う歌は、あからさまなぐらいにアイドルとファンの関係を投影しやすく、パフォーマンスする度に、今までずっと見てきてよかったなという思いと、これからもずっと見ていきたいなという希望を共に抱きます。特に2番サビの「月と星が並んで浮かんでる」が、太陽でもなく、向き合うのでもなく、月と星が並んでるというところに相手への慈しみがあって私は大好きです。それはただの仲良しグループではないであろうメンバー同士であったり、ファンとの助け合う関係であったり、そこにはもちろんRYUTistとの繋がりもあります。こだまするたくさんの人の気持ちが間奏の大縄跳びでひとつになって、大きく笑顔になるのが本当に素晴らしい。この曲にはハコムスの歴史が詰まっていて、メンバーの入れ替わりが激しいハコムスですが、歌うメンバーが変われば変わるだけ思い出が積み重なって、ますます輝きが増すように感じています。大好き。


 つまりまとめると、そんな大好きなRYUTistとハコムスが一緒に見れる8月13日のライブが楽しみで楽しみで仕方ないということ。夏の野外、全曲最高なライブだと信じています。活動休止前最後の鉄戸美桜さん阿部かれんさんを2017年夏の記憶として永久保存するためにも瞬きすらしない覚悟で望む所存。早く鉄戸さんのショートボブを拝ませてくれ〜🙏🏻




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