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奥山由之写真展 BACON ICE CREAM

 強い。暴力的な強さがある。共感を得ようとか、心に寄り添うとか、生易しい空気がまったくない。残酷なまでに強く迫ってくる写真。だけど、どこがどう強いのか問われるとうまく言えない。まず撮るということがあって、その写真が見られることにあまり頓着していないふうに感じられ、それが強さのような気もする。しかし展示は考え込まれているので、見られることを意識していないわけではない。


 私も最近知ったばかりの新規も新規なので、流行を追っているだけなのかもしれないと思うときもある。でも好きになるなら今のタイミングしかないと感じていて、このタイミングで好きになれたことは良かったと思う。


 去年の年末に書店で写真集を立ち読みした。他のお客が読んでいたので、店内をぐるっと回って少し時間を潰してから写真集を手に取ってページをぱらぱらめくった。過去に何かの媒体で写真を見ることはあったかもしれないが、初めて奥山氏が撮ったということを意識して見た一連の写真は、いまひとつピンとこなかった。わかりやすいほどあっけなく、自分の眼と写真の焦点が合わなかった。嫌いじゃないけど合わなかった。なので、波長が合わないのはしょうがないと買うのを止めた。


 1月、それでも気になって個展に行った。ただ私が流行りに弱いだけかもしれないが。大小の写真で埋め尽くされた空間は、以前に写真集を立ち読みしたときとは違う強さがあった。大きくプリントされた写真に圧倒されたのかもしれない。色といい影といい、迷いの無いものがそこに写っていて、その潔さが心地良い。滝に打たれるような感覚があった。大きな写真があることで小さな写真も際立ち、すべてが同列でないことで美しさが生まれていた。


 結果的に2回見に行って写真集まで買った。写真集を買って眺めてみても、やはり展示には敵わないような気がした。写真集と個展と、どちらが本当なのだろう。残り続けるものと、一期一会の時間、どちらにも良さがあるが、写真は一瞬を永遠に切り取る手段であるから、残るものが写真という考えがある。部屋に飾るのならまだしも期間が限られている個展は、写真の存在としては特別ではないだろうか。でもその特別な空間に心揺さぶられているので、本当の意味での写真そのものを自分は好きではないような気さえしてくる。本当の意味とは。


 一連の写真に、この人はこれだという確固としたイメージが無くても奥山由之の写真だとわかる強さ。写ってるいるものの奥に同一の灯が見える。こう言われるのは本人的にはどうなのだろうと思いつつもヴォルフガング・ティルマンスに似ているように思う。ティルマンスの写真を見ると、写真はわからないなといつも思わされる。しかし見入ってしまう。そういう曖昧なイメージの積み重なりの上に成り立つ感情の変容を心地良くさせる写真との関係が、奥山由之とティルマンスの写真から感じられる。わからない。


 わからないけどすごさはわかる。掴みきれない良さは、もしかしたら流行りに踊らされていることで見せられている幻影かもしれないが、それでも奥山氏の写真はぼやけた世界の空気を射抜くようにまっすぐ胸に響く。とても強く印象に残る個展だった。