ライムベリー飛び出して!

 ライムベリーを好きになってから地下アイドルのライブイベントに通うようになりました。だいたいどのイベントもたくさんの出演者がいて、持ち時間20分ぐらいで数曲歌い、その後物販をします。ライムベリーは楽しいのですが、イベント全体としてはとにかく耐えるということに力を削がれ、時としてライムベリーは見たいけど地下アイドルのイベントは…みたいな気分にもなります。なんでこんな気持ちになるのか。大袈裟に感じ取ってしまっているのかもしれない、地下アイドル現場の負の空気というのに耐えられません。負の空気と書いたけど、慣れれば楽しいのかもしれない。地下アイドル現場初心者の自分にも、何かしら安心感のような雰囲気を感じ取れる時もあります。それでも僕には厳しい。地下アイドル現場は、アイドルというシステムの中で搾取されるアイドル本人をまざまざと見せつけられるようで、とてもつらいです。ダイレクト過ぎる。本当の搾取対象はお客さんのお金よりアイドルの輝きなのではないか、そんな疑念まで湧きます。中にはそのような毎日を楽しんで頑張っているアイドルもいるかもしれない。ただ僕はそれよりも、この現場の空気に嫌気が差すアイドルもいるのではないか、そちらのほうに気が取られてしまいます。歌って、物販をして、ファンとは親しげに会話を交わす。それを繰り返す日々。アイドルという言葉が存在としてではなく職業として意味を持ってくるかのようです。
 しかし周りを見渡せば、どのアイドルも多かれ少なかれ忙しい日々を送っています。CDのリリースが近くなれば毎日のようにライブや握手会があり、地下アイドルだけが酷使されているわけでもありません。それでも僕は、その忙しさと地下アイドルの忙しさは違うと思います。常に悲観的な自分が悲観的に考えて書くのでさらに悲観的にならざるを得ないのですが、地下アイドルに明るい未来を想像するのは困難で、将来の見えない忙しさほどつらいことはないです。地下アイドル現場には、このままでいいのではないかという安心と諦め、退廃感、それに伴う享楽的な楽しさ、があると僕は感じています。一方で、いや、そんなことはない、どんなアイドルだって人気が出て大きなステージに立ちたい、そう願って頑張っていると、僕は信じています。だが、そのアイドルの願いをいちばんに阻んでいるのは、アイドルをステージに立たせている地下アイドル現場ではないか、そんな気がします。自分の足場が足を絡み取り、上へ行かせないようにしている。病みやすいシステムです。
 単なる印象論ですが強引に自説に持ち込むと、ひとえにその原因は暗さだと、僕は思います。あのライブハウスの暗さ、密室空間の閉鎖性がアイドルの行く末を暗示しているように感じます。青春を謳歌すべき人達のいる場所ではない。もし陽のあたるステージに立てたら、彼女達はまた違ったふうに輝くのではないか。さあ、ここからが本題です(長かった!)。アイドルは暗い場所よりも明るい場所で歌い踊ってほしいと僕は願っています。太陽の下で歌うアイドルほど輝いて見えるものはありません。暗くなりようがない。野外でのアイドルイベントは素晴らしいです。アイドルの歌に耳をすまし、ふと見上げる青空に泣きそうになります。野外でなくてもショッピングモールなど開かれた場所でのイベントも開放感があって大好きです。そこで非常に利己的な意見ですが、ライムベリーにはもっと外で、ライブハウスを飛び出して活動してもらいたいです。ライムベリーはあの地下アイドルの閉塞感を飛び越えてください。ヒップホップこそストリートです。ラジカセ担いでブロックパーティー始めましょうよ。太陽めがけてプチャヘンザですよ。
 そうです、僕は青空の下で歌う女の子達が大好きです。それだけですべてが正義となります。ということで、ライムベリーに限らずアイドルのみなさんはこれからもどんどん野外でライブをお願いします。ショッピングモールや公園、お祭りなんか最高です。ライブハウス飛び出しましょう。



 (ライムベリーだけを見たいのに何故高いお金を払ってたくさんのアイドルを見なきゃいかんのだよと遠まわしに書いたとも読み取れますが、あながち間違ってません…)