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田﨑あさひさんの透明感、2013年10月26日

 透明のその先に触れてきたよ。

 

 台風掠めた東京の、生温い空気を切って清涼な風が届いたような、澄みきったインストアライブでした。まさに清冽!!。僕にとっては本当に久しぶりの田﨑あさひさんのライブ、朝カーテンを開けてぱらつく雨にひとしきり思案し、外出するのを諦めようとする弱気な心を、いや今日を逃したら次はいつになるかわからないと勢い込んで家を出た気持ちに十二分に応えてくれたライブでした。このピアノに焦がれていたんだと、深く俯いて鍵盤を叩く姿に、今年の春頃、インストアライブに行き続けた日々を思い出し、そこから田﨑さんは成長したのかどうなのか、僕にはわからない自らの未熟さともどかしさはあるものの、でも目の前で歌っている彼女を見れて、それだけですべていいのではないかと一心に耳を傾けました。

 

 イベントの開始1時間程前、整理券を手に入れるためハロショに行ったとき、ハロショが秋葉原に移転してから初めての訪問で、そもそも場所も知らないから調べてエレベーターで上がって、エレベーターのドアが開いて店内に足を踏み入れた瞬間、聞き覚えのあるメロディーが耳というか全身に、全身の全細胞に伝わったのを実感し、細胞の躍動が共鳴して身体が震えた、その瞬間こそが今日という日でいちばん生を感じたのではないか、そう思います。今日だけでなく、この秋いちばんの盛り上がりだったかもしれません。そのくらい田﨑さんのリハに偶然遭遇したことに衝撃がありました。私事になりますが、仕事が忙しく言えない愚痴も多くなり、したがって明るい方向へのテンションの振り上げ方を忘れたのかもしれない、このまま体温の低いまま生活は落ちつくのかと思っていたところに突然のピアノで、曇っていた心に強烈な白すぎる白が刺さってくるようでした。リハは幕を下ろした向こう側だったので顔は見えませんでしたが、音だけで僕のすべてを掴んでいった感じです。本番始まる前に終わったような、そんな気分でしたが、本番はさらなる透明度をもって僕に迫って、とても快い時間でした。約半年振りに聴いた田﨑さんの歌は以前と変わらずまっすぐ届いてきました。

 

 僕がハロプロ関連で唯一と言っていい、欠かさず真面目に読んでいるのが田﨑さんのブログで、ブログでは本当にこんな女の子が実在するのか、度を越えた純真無垢さに、もしかして星座の配置が違う別の宇宙の雲の無い惑星に住む女の子のブログが誤ってアメブロに紛れ込んでしまったのではないかと不安になるほどの、穢れない文章の毎日で、ブログなのに架空の日記のような非現実感に誘われて、僕は読みながら現実逃避していました。でも実際にそれを書き綴っている本人が目の前にいるわけです。なにか途轍もない歪みを肯定しないといけない、その手っ取り早い手段は、とりあえず歌を聴くことでした。響いてくる歌とピアノに安心して、余裕というにはせせこましい心の片隅で彼女とこの世界の共通点に思いを巡らします。インストアライブは曲と曲の合間のトークが結構たっぷりあって、そのトークのひとつで日記について言及していたのが記憶に残っています。その田﨑さんの日記では思ったことを自由に方言混じりで書き込み、後日読み返してみても本人すら何を意図して書いたのかわからない、そんな日記だそうです。真にリアルタイムの思考の記録として機能しています。プライベートな日記ですら自分を見繕ってしまう僕に対して、ありのままを記していく田﨑さんの日記への姿勢は本当に憧れます。しかし、というかやっぱり、ブログと日記は違うのですね。ブログはブログとして書いていることにホッとして、微かながら共通点を見つけられたような、そんな気になりました。どこまで作っているのかわからない、あまりの隙の無さに、田﨑さんはブログのような人物だと僕は信じています。表面的に接しているのみで、もっと近くにいれば違う印象もあるでしょうが、ブログ読んでたまにライブ見に行く僕のような人間には、田﨑さんは本当に純真無垢の結晶のような存在で、それがくすんだ生活に光を灯す灯台のような、溺れないための道標となってくれています。

 

 実際にステージに立つ姿を見ても、その非現実感に気持ちを追いつかせるのが精一杯です。理解しうる座標系とは異なる見えない軸に沿って透明な光を放っているような、それが直接心に伝わってくる感覚があります。特にオリジナルの持ち歌で、その透明を超えた透明が空間を満たす、静謐な空気が感じられました。そして田﨑さんは、透明は透明でも肌触りのある透明なのがよいです。敢えて例えると、きめ細かい真っ白なベッドのシーツに薄いカーテン越しの朝日が当たっている風景と言いましょうか、とても優しく静謐です。中腰になってピアノと闘う曲もありながら、辺りに漂っているのは静けさで、それが田﨑さんの稀有さなのかなとも思います。透明感なんて、美少女を表すために数えきれないほど使い古されている言葉ということぐらい知っています。でもやっぱり、そこに辿り着くのはその言葉の指すものが好きだから。知らない人から見たら神聖化し過ぎかもしれませんが、これくらいでもまだ足りない気分です。

 

 しかし今回は静けさとは逆の激しさも見せてくれました。新しいカバー、中島みゆきの「宙舟」です。持ち歌での透きとおった歌声とは違う、情念込められた歌声で、中島みゆきもかくやという迫力がありました。以前鬼束ちひろ「月光」のカバーを聴いたときにも感じた、歌への没入の深さが、より深度を増して「宙舟」と同化していました。「宙舟」すごかった、すごかったけど僕の好きな方向とは違うな、というのが正直なところ。やっぱり田﨑さんはオリジナル曲がいちばん似合うし、いちばん強度があると思います。歌っているときの表情を見れば一目瞭然で、それは「Rolling Days」において如実に見て取れます。晴れやかという言葉だけでは抑えきれない、音楽こそが生きている意味のすべてだと顔全体で表現しています。

 

 田﨑あさひといえばこの曲というくらい、ライブの最後はこれと決まっている「Rolling Days」は、気持ちよくライブを締めるために欠かせない大切な曲です。坂道を自転車で駆け下りるような、それももちろんブレーキなんて踏まずに、そんな疾走感と田﨑さんの跳ねるピアノ、まっすぐ届く歌声が本当にかっこいいです。あぁ、これが田﨑あさひなんだということがいちばん伝わってきます。その伝わってくる際たるものが真摯さです。真摯さ、もちろん誰もが真摯であろうと思いますが、田﨑さんはその真摯さが余計な経路を辿らずにまっすぐこちらに届いてくるような気がします。それはどちらにとっても幸せなことです。そしてその真摯さは、音源だけを聴くよりも、実際に演奏し歌っている姿を見るほうが、より強く響いてくると僕は思います。だから、オープニングアクトとしてたくさんのハロプロのライブに出て、知らない人に見てもらうのはとても大切なことだと思うし、それが未来へ繋がっていくはずです。

 

 ライブ終わって握手会も終わって、ハロショのビルから出たら、雨上がりの薄もやから日が差し込んで、ふんわりした光が空を満たしていて、その柔らかさが今の気持ちとシンクロして、顔を高く上げさせます。空を見上げさせるような、田﨑さんはそんな人です。よかったなと、田﨑さんの顔を思い出しながら頷きます。僕が必死とは言わないまでも追いかけている、透明のその先を見せてくれる存在として、田﨑さんは確かにここにいます。歌い終わって鍵盤から顔を上げたときの瞳の眩しさを、目から目、空気しか介さずに伝わってきたのが本当に素晴らしい瞬間でした。長崎は行かなかったけど、早く次のライブが見たいですね。それもオープニングアクトじゃない、田﨑さん自身の。楽しみにしています。