新津保建秀×早見あかり『Spring Ephemeral』@FOIL GALLERY

FOIL GALLERY
 こんなにドキドキしながら展覧会に向かったのは初めてだよ。馬喰町の長いエスカレーターを上がりながら、何をこんなにドキドキしてるのだろうと自分におかしささえ感じた。まるで握手会の直前のような緊張感。これまでの雑誌への掲載などからある程度覚悟してはいても、自分の知らない早見あかりだけの空間に立ち入ることに対して不安があった。

『Spring Ephemeral』
 これが今回の展覧会のタイトル。春の儚い光とでも言うのだろうか。泣けると宣伝されている作品に対して泣きたくないように、見せる側が儚いものとして提示している作品に対して、正直に儚いねと同意したくはないけれど、作品を前にすると儚さに溢れていて、しかもそこには強さがあった。鴬谷で行われていたももクロZを一度も見ることなく、まだ自分の中に中野の余韻が残る時期に見たからか、たゆたうおぼろげな中にも早見あかりの覚悟が感じられて、中野の終わり、新しいスタートに向けてステージから消えていく早見あかりがオーバーラップしてきた。少し時間は遡るが去年の秋、髪を切った直後の写真には、その覚悟がヒリヒリと表出していて、鋭く痛い美しさがえぐってくる。その写真は展示の中でも異色な作品なのだけど、だから一際強く訴えかけてくるものがあった。古くて安直だがナンバーガール的というのがしっくりくる。とにかく青い。僕がいちばん好きなやつだ。
 どちらかというと、この展覧会は京都での写真よりもIANN〈Fluid / Girl〉の写真が強く印象に残った。煌く緑と透明な存在感が漂う早見あかりは春の一瞬を鋭く切り取っていた。風に揺れる森の中で少しずつ表情を変える早見あかりを追っても、その先に今があるとは、発表当時見たときも、今再び見ても、とても信じられない。一年前、ただただ美しいなと思いながら見た写真は、今見ても当然のように美しく、風になびく黒い髪は澄んだ空気を届けてくれる。春の光を抜けると、会場のもっとも奥にいちばん大きな作品があった。『第二音楽室』のポスターとしても使われた、早見あかりと海の対。遠くを見つめる彼女がどのくらい遠くを見つめていたのか気になる。QJのインタビューでもあったように、余裕ができたからこその視線の高さと視野の広がり。今見れば、何かを発見したような顔にも見れる。きつい峠を越えて、脇目もふらず全力疾走してても、いつか見つめざるを得ないだろうと思ってたけど、意外と早く見つけたよね。見つけたというか、目を逸らしてた部分と向かい合っただけか。海も早見あかりも、どちらも穏やかな佇まいで、静かに胸に染み込んでくる。
 しかし、この展覧会でいちばん心に残った作品は写真ではなかった。新津保建秀と早見あかりによる音響作品が、目には見えず、ヘッドフォンからしか聴こえない小さな音だけど、どの写真よりも圧倒的な存在感を示していた。ヘッドフォンを付けて聴いた瞬間震えたし、途端に会場の空気も変わった。耳元で囁くように聴こえる早見あかりの声にずっと聴き入ってしまった。ヘッドフォンを外すタイミングを失って、早見あかりとの距離感がわからなくなるような錯覚にじっと立ち尽くした。僕は早見あかりと糸電話をしたことはないけれど、やったとしたらあんな感じなのだろうと思わせる、秘密を共有している者にしか聴こえないような声。いつまでもずっと聴いていたかった。
 会場が閉まる間際に行って、お客さんが少しずつ入れ替わり出入りする中でずっと見ていたが、全然飽きない。それはため息と共に疼くような痛みを伴うが、白く静かな会場はいろんな感情を優しく包み込んで、痛みすらも心地良くなってくる。素晴らしい展覧会だった。そこにいたのは紛れもなく早見あかりだったよ。僕の知らない早見あかりではあったけど、確かに早見あかりだった。頷くことしかできない。しっとりと落ち着いた気分で会場を出たときの春の空気が気持ちよかった。