いつか「砂時計」について書こうと思っていて、そのままほったらかしにしていたら、こんな事態になってしまいました。
 ピンキージョーンズツアーのある日、たまたま入った雑貨屋で小さな青い砂時計を見つけました。さらさら落ちる青い砂がキレイで気に入ったのであかりんにプレゼントしようと包んでもらって、その日のももクロの握手会でちょっとしたメッセージを添えてあかりんに渡しました。詳しくは覚えてませんが、疲れたときや辛くなったときは砂時計を見てボーッとしてください、のようなことを書いたと思います。あかりんのためというより、ベッドに寝転がりながら砂時計を眺めているあかりんを想像したら美しいなと思ったので、おもに自分の感傷目的で贈りました。実際にあかりんからその砂時計について何も言及はありません。
 砂時計を贈ったのはまったくの気まぐれで、その場の思いつきだったのですが、後になってアイドリング!!!「砂時計」を聴いたら(それまでも好きで聴いていたのですが)、以前は気にもしてなかった歌詞が急に現実感を伴って聴こえてきて、前にも増してこの曲を聴くようになりました。

壊れそうなときも 支えてくれてた あの日のキモチが ココロ満たしてく
キミのプレゼント 砂時計の中で 夢のかけらたち ずっと輝いて

 正直なところ、あかりんを支えるという意味で見たり接したりしたことは以前も今もありません。楽しそうに踊ってるあかりんを見てこちらも楽しくなって、その僕の気持ちが握手や手紙であかりんに伝わって、それでまたあかりんが楽しいライブをする、そのようなサイクルが出来れば理想だなと思ってました。その結果としてあかりんを支えていることになれば、それもいいんじゃないかなくらいの気持ちでした。かなり自分本位です。お金もあまり落としません。あかりん(ももクロ)が出るからどこにでも行くわけではなく、これは面白くなさそうだなと思えば行きませんでした。言葉は悪いですが、アイドルを消費しているというのがいちばん自分にしっくりきます。そんな消費の対象として見ていた自分としては、あかりんはその犠牲者のようで後悔しかありません。

周りばかり見て 常に比べてる 弱虫なヒトが 輝きはしない
キミがつぶやいた ガンバレって言葉 思い出すたびに 力あふれてく

 僕はあかりんに頑張れとは言えませんでした。言わなくても精一杯頑張ってるのは痛いほど伝わってきたし、現状でも無理気味でステージに立ってるのに、これ以上頑張れとは無茶だし、なにより頑張るよりも楽しむことのほうが重要だと考えていたからです。むしろ僕のほうがライブを見て楽しい気持ちになって、また次の週末まで一週間頑張っていこうと元気をもらっていました。砂時計を贈ったせいで、どちらがキミでどちらがボクかわからなくなりながら、複雑な気持ちでこの曲を聴いていました。
 今、あかりん(この名前も早見あかりさんをアイドルとして消費しているので気になりますが)がももいろクローバーを脱退することに対して、どう向き合っていけばよいのか整理がつきません。テレ朝の動画を見て、柏の葉で本人から言葉を聞いたとき以上の辛さを今は感じています。あかりんがずっと悩んでいていつも泣いていたことを知って、どうしようもなく悲しいです。最近のあかりんはとても楽しそうな表情でステージに立っていて、ももクロの早見あかりとしてやっと自信を持てたのかなと僕は思ってました。こちらが戸惑うぐらいのいい表情で踊ってるのを今でもすぐに思い出すことができます。実際、心の中はどうだったかわからないし、わかったところで今はどうにもなりません。僕にはあかりんの本当の気持ちは届きませんでした。まるっきり逆の気持ちばかり伝わって、嘘の幸せに包まれてました。反対に、僕のあかりんへの気持ちは伝わったのか、むしろそういう押し付けがましさが重荷になってしまったのではないかという後悔があります。それと共に、たかが一ファンの言葉なんて向こうには欠片も届いてないよという無力感があり、それらがごちゃ混ぜになって重くのしかかってきます。
 どうしようもないことです。悩んで悩んで決めたことだから、僕には否定できません。強いなと思います。あかりんが最後まで全力で楽しみたいと言っているので、僕も出来る限り見に行きます。でも楽しめるか、握手できるか、顔を合わせることができるか自信がありません。それでも行きます。この6人のももクロが見れるのはこの冬が最後なんです。あかりんが好きだし、この6人が大好きなんです。だから行きます。(まあ、この文章だって消費の一種なんだしクソったれですよ、あかりんのばか)